友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人が許し合って生きていく

2024年09月02日 17時50分58秒 | Weblog

 兵庫県の斎藤知事が、百条委員会で答弁する様子をテレビで見た。こういう人を上司にした部下職員は大変だと思う。自分の言動は、相手のことそして県政のことを「思う」からだと力説していた。その気持ちに偽りは無いだろうが、言動は余りにも幼稚だ。

 目的が正しければ、どんな言動も許されるのか。そうでは無いことに気が付いてこそ、上に立つことの出来る人である。首長は選挙で選ばれるから、その地位を得ると「殿様」になってしまう人は結構多い。

 部下を共に市民のために働く仲間とは見ることが出来ずに、何でも自分の言うことを聞く部下としか思わない。だから、「バカか」と怒鳴り、「クビにするぞ」と脅す。女性職員には平気で身体を触るし、卑猥な言葉をかける。

 私は幸いにもそうした職場に遭遇しなかったけれど、教師だった時に「おまえのためだ」と、生徒をメチャクチャ怒る教師はいた。口で言うだけでなく、頭や身体を叩く時もあって、「それは違うでしょう」と言いたかったが、言えなかった。

 学校はこうでなければ、生徒はこうしなければならない、そういう思い込みが強い先生だった。でもそれは、その人の思い込みで教師全体の思いでは無い。そういうことが話し合える、雰囲気も機会も無かった。

 あれから学校も随分変わったと聞くが、「9月病」はまだあるようだ。不登校の児童・生徒は増えていると新聞報道されている。私が子どもの頃は学校が遊びの場だったので、学校へ行きたくない子はいなかったと思うが、不登校はなぜ起きるのだろう。

 私の知り合いにも不登校になった子がいたが、学校が子どもにあれこれと求め過ぎたことが要因の気がする。学校は常に全体のことを考えるから、個性は後回しになる。いろんな子どもがいることは分かっていても、全体の秩序が優先されてしまう。

 人が許し合って生きていくのは難しいのだろうか。


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