特定非営利活動法人を設立して、防災用の井戸掘り・地域イベントへの参加・リサイクルの3本を柱に活動してきた。今年で6年目になるけれど、法人にすることはなかったのではないかと時々思う。事務処理を引き受けているが、県に提出する書類の整理だけでも骨が折れる。毎日、キチンと処理していればそんなに大変な事務ではないのだが、日常的に仕事があるわけではないから日頃が疎かになり、締め切り間際になると慌ててしまう。
それに、県の担当に書類を出しておけばそれでよいと思っていたらそうではなかった。法人であるから法務局へ提出する書類もある。考えてみれば会社と同じで、社会の中でお金を動かしているのだから、監督する法務局に必要な手続きを行なうのは当たり前のことであるし、県への報告義務も当然のキチンとしなくてはならない。なのに勝手なもので、もう少し簡単に出来ないかと自分の都合の良いように考えてしまう。
人間は社会的動物と教わってきた。ひとりでは生きていけない。社会生活があって個も生きていけると。住んでいる家も、食べている食物も、着ている服も、あらゆるものが全て他人によって作られたものだ。だったらもっと社会とうまくやっていけてもよいのにと思う。個人と個人なら、好き嫌いはあってもそれなりに仲良くできる。いや、個人と個人なら、家庭を超えても理解し合える人もいる。
社会に適応できない人が生まれてしまうのはどうしてなのか。ひとつの社会と別のもうひとつの社会はなぜ対立するのだろう。社会を形成した時、利害が生まれた。家庭という小さな社会を見ても、料理を作る、掃除洗濯をする、いろんな面で絶対な公平はない。納得と思いやりしかない。物理的な公平は作れなくても、納得と思いやりでやっていく、これが人間社会の基本のように思う。赤子を抱いていると、人肌って本当にいいなと思う。
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