クリスマスはイエス・キリストが生まれた日。イエスはベツレヘムの馬小屋で産声を上げた。父ヨセフと母マリアは婚約中だったから、赤子は不義の子である。けれど、ヨセフは神の使いから、「マリアが宿した子は精霊によるのである。その子は自分の民をその罪から救う」と聞かされる。
イエスは人々の救い主として生まれたが、それは人々の罪を引き受け十字架にかけられることだった。戒律を守れば天国へ行けると信じていた人々に、イエスは「それは違う」と話し、「神を信じ、愛することだ」と説いた。
画期的な説教だった。戒律を守ってその地位に固執してきた支配層の人々は、イエスの説教は許すことが出来なかった。けれど、貧しい人々や蔑まれてきた人々は、イエスを信じ従った。イエスは磔にされて殺されたが、蘇ったけれど神のもとに帰って行った。
神が再びこの世に現れるのが「最後の審判」である。キリスト教の宗派の中には、「審判の日は近い」と唱えるものもある。私は、もうそろそろその時が来て欲しいと願っている。誠に勝手極まりないから、私には罰が下るだろう。
今日、知り合いの死を聞いた。ふたりともゴルフに行っていて、途中で気分が悪くなり、家に戻ったもののさらに悪化して、救急車の中で亡くなられた。僅か何時間という間の出来事だった。「苦しまなくてもよかった」と思うのも勝手で、本人は随分苦しんだかも知れない。
共に陽気でよくおしゃべりする人だった。「最後の審判」で、そういう人々に会うことが出来るのだろうか。いや、もっと昔に亡くなった父や母に会えるのだろうか。けれどその時、「お前は!」と叱られそうな気がして怖い。明日は井戸掘り仲間の忘年会のため、ブログを休みます。
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