『同志少女よ、敵を撃て』(逢坂冬馬著 早川書房)を読み終えた。470ページを読んだという達成感よりも、もっと重い充実感があった。戦闘場面が如実に描かれているから、戦争映画を観ているようなのに、全く違っていた。
母親を殺され孤児となった少女に、「戦いたいか、死にたいか」と問う。「敵を皆殺しにして、仇を討つ」。そう決意して兵士になる。少女に問うた女の下で、狙撃兵となる訓練を重ねていく。家族を亡くした少女たちは狙撃兵として鍛えられていく。
第2次世界大戦で、ソ連は看護や雑務をさせる女性を後方部隊と投入しただけでなく、実戦兵士として戦場へ送った。この小説は確実に敵兵を射殺し、戦況を有利にする狙撃兵の物語だが、現実に存在したようだ。
上官の女は常に、「なぜ兵士になった」「兵士になって何がしたい」と問う。こうして少女たちは立派な狙撃兵へと成長していく。戦闘で何人殺したか、充実感でありながら何かを引きずっていく。いよいよ戦争が終結に進む。ドイツは900万人、ソ連は2000万人以上の人命を失った。
最終章に「スターリン体制は恐怖政治であったなら、それを支えて戦った自分たちは何なのだろう」とある。さらに「たとえ船頭を替えても『大祖国戦争』の物語を美しく受け継ごうとするこの国には、それ以外の面を見ようとする日は、決して生まれ得ないのだろうか」と問う。
戦争の犠牲者が女性であり、敵も味方も女を弄ぶことに変わらない。著者の逢坂さんは何歳なのか、夥しい戦場の記録をどのようにして手に入れたのだろう、そんな思いがフト湧き、いやいや彼はもっと深い思いでこの小説を書いたに違いないと思った。
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