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2021.06.06 8年前と、今とパソコン買い替え時の大きな違い。

8年前と、今とパソコン買い替え時の状況に大きな違いがあることに、愕然とする。

私は、この度のパソコン買い替えで、キリキリ舞しているのは事実ですが、でも、
今回の方が、ずっと楽だな〜と思っている。
それは、何故かと言うと、以前の時は、脚の激痛の時で、その激しい痛みは、
気がどうにかなりそうな状態だったからです。
その上、来客がひっきりなしでしたし、その上、いろんな会の世話役で、遠路、京都と
かへも、出かけることも多かったからです。

その上、大阪から来る友人は、毎週何回か我が家の近くにある整体のマッサージが
上手だからと言って通って来ていて、我が家を常宿の様にしていた。
遠路来ることを、「〇〇さん(私のこと)に会いたいから来るんよ。といつも言って
いて、「もし、都合が悪かったら、言ってね。」と言っていたが、嬉しいことだと
思っていた私は、足が死にそうに痛いとは、一言も言わなかった。
彼女は、我が家から20分ほどの所にある居酒屋が気に入って、「私がここに住んで
いたら毎日ここへ来るのに。」と言っていた。
家から5分のところでさえも、どうしてもそこまで歩けなくて、途中で引き返していた
ほど、歩けなかった私が、その彼女がマッサージのあと待っているその居酒屋へは、
痛くても這う様にして行っていた。

私は、自分の痛さや辛さを言わない人で、ある時びっくりしたことがあります。
それは、神戸で、長年近所に住んでいた友人で、私は、彼女は私のことは、全て知って
くれていると思っていて、もし自分が入院などすることがあっても、彼女さえいれば
大丈夫、着替えなど持って来てくれるからと、勝手に思っていた友人がいて、その後、
私がなんとか歩けるようになって、激痛だった時のことを言った時、「え、足が痛かっ
たの?」と言ったのには、尻餅つきそうに驚いたことがあった。

考えてみれが、私が本当に痛みを訴えたのは、のばらさんだけだった。
彼女と待ち合わせた喫茶店が、急に閉店していて(私は、そこまでゆくだけで死ぬ思い
だったのに)、彼女は、その店の支店の方に移って待っていて、そこで待っているから
と言って来たので、私は、まさかそこまでは行くことはできないと怒りました。
途中まで迎えに来てくれた彼女に向かって、そのときだけは、怒りをあらわにしました。
もうこれで、友情はおわりだろうと覚悟しつつ。
その私の顔を見て、驚いた彼女の顔を、私は忘れることはありません。

その時、ようやく、私が尋常でないことを知った彼女は、その後、私を徹底的に
サポートしてくれることになりました。心身面と肉体面と両方の支えになってくれました。

最近、動画で、
<一所懸命やって、「感謝される人」と、「軽んじられる人」の差>
というものを見つけて、その内容に驚きました。
(1)「感謝される人」は、できる範囲でやる人。
(2)「軽んじられる人」とは、「できないことまでやる人」だそうです。

私は、震災の時の友人達のありえないほどの献身に感謝して、私のこれからはできる
だけの恩返しをしようと決心していて、足が痛くても(同時に手も激痛だったが)、
それがどうした、関係ない、私は頑張るのだと思っていた。

おろかだったかもしれない。個人のやれることは、知れているのに。
震災後再建した神戸での10年間で、手足は、この8年まえどころでない痛みだったが、
10年間で100回のご招待と、10年間毎年おせち接待をした。
脚の痛みで流しに寄りかかりながら。手が激痛でも包丁だけは持てることに狂喜して。

特に私の様に、前職を辞めて新しい道を模索する日々で、徹夜につぐ徹夜の座りすぎ
の仕事で、足の筋肉をすっかり落として、歩けなくなった身には、自分のことさえでき
ない程なのに、人の世話を目指すとは?私も変わった人かもしれない。

だから、自分の意欲に反して、あまりお役にも立てない状態に焦っていた日々だった。
まさに、一生懸命、自分のできる以上のことをしようとして、失敗している例であった
と思う。まさに、私は動画の(2)の人であった。

のばらさんだけは、分かってくれた。終身、徹底的な私の味方だった。
車に乗っても、「おーちゃんを、どこで降ろそう?どこで降ろそう?」と、配慮して
くれて、私を一人だけどこか安全な木陰で、降ろしてから、皆を乗せて駐車場を
さがしていた。

動画が言っていることは、本当だと思える。
そんな私だったが、何と言っても、裕福な家庭の主婦なのに、介護の仕事を志していた
優しい彼女と出会ったことが、私の人生で1番の幸運だった。
亡くなってから6年経っても、彼女への感謝がふつふつと湧いてくる。



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