今日も原稿の出が悪く、原稿待ちで会社に泊まることになりました。
待ち時間を利用して、ブログを書いています。
原稿が遅れていても印刷の日程が決まっており、明日一日で80P分のデータを印刷所へ渡せねばならず、何だか地獄の一日になりそうです。
世の中、スッキリしないことだらけですが、今朝、朝刊を読んで気になっていた記事があります。
神奈川のある高校が、内申書、学力試験、面接の総合的な成績順位は合格圏内に入っていたのに、願書受け付け時の服装・態度などが悪くて、選考基準に従わず不合格にしていたという記事です。
(結局、校長は解任されましたが・・・)
新聞は例(?)により、人権侵害・差別だと言わんばかりに、不合格の生徒擁護寄りの内容。
ずっ~と、日本の政治は信用もしていなかったけど、その記事を読んで、日本のマスコミも文化を理解できる能力があるのか、少々、疑問を感じております。
組織や人の集まる所には、どんな場所にもポリシーがあり、人はそのポリシーに自分を照らし合わせて、その集まりに参加するものだと思うのです。
今回は学校と生徒のポリシーが合わなかっただけのこと。
学校のポリシーを理解しようとすれば、自ずから身なりに気を使うのは、当たり前のことだと思うのですが。
周りに気を使わず、自分勝手な自由だけを、振りかざしているようでなりません。
お金さえ払えば(合格点さえ取れれば)、誰でもお店に入れる(入学できる)と勘違いしている、単なる世間知らずと同レベルのような気がします。
銀座のあるフランス料理店では、子供を店に入れてくれません。
それは子供だから仕方のにことですが、周りのことを考えず騒いで、店の雰囲気を壊すからです。
以前、テレビで高校生の料理の世界大会を見たことがあります。
日本の代表二人が2位になり表賞されたのですが、その発表会の時の制服のあまりのだらしない着方に、唖然としました。
これが日本の代表?
料理は“味”だけに気を使うものではないと思うのです。
文化とはもっとトータルなものだと思うのです。
今回の件も、むしろ、ファッションや公的な場での態度には、文化的側面からTPOをわきまえたマナーがあることを論じるのが、マスコミの役割でないでしょうか?
“着こなし”はその人から会う人への、メッセージそのものだと思いますので・・・
待ち時間を利用して、ブログを書いています。
原稿が遅れていても印刷の日程が決まっており、明日一日で80P分のデータを印刷所へ渡せねばならず、何だか地獄の一日になりそうです。
世の中、スッキリしないことだらけですが、今朝、朝刊を読んで気になっていた記事があります。
神奈川のある高校が、内申書、学力試験、面接の総合的な成績順位は合格圏内に入っていたのに、願書受け付け時の服装・態度などが悪くて、選考基準に従わず不合格にしていたという記事です。
(結局、校長は解任されましたが・・・)
新聞は例(?)により、人権侵害・差別だと言わんばかりに、不合格の生徒擁護寄りの内容。
ずっ~と、日本の政治は信用もしていなかったけど、その記事を読んで、日本のマスコミも文化を理解できる能力があるのか、少々、疑問を感じております。
組織や人の集まる所には、どんな場所にもポリシーがあり、人はそのポリシーに自分を照らし合わせて、その集まりに参加するものだと思うのです。
今回は学校と生徒のポリシーが合わなかっただけのこと。
学校のポリシーを理解しようとすれば、自ずから身なりに気を使うのは、当たり前のことだと思うのですが。
周りに気を使わず、自分勝手な自由だけを、振りかざしているようでなりません。
お金さえ払えば(合格点さえ取れれば)、誰でもお店に入れる(入学できる)と勘違いしている、単なる世間知らずと同レベルのような気がします。
銀座のあるフランス料理店では、子供を店に入れてくれません。
それは子供だから仕方のにことですが、周りのことを考えず騒いで、店の雰囲気を壊すからです。
以前、テレビで高校生の料理の世界大会を見たことがあります。
日本の代表二人が2位になり表賞されたのですが、その発表会の時の制服のあまりのだらしない着方に、唖然としました。
これが日本の代表?
料理は“味”だけに気を使うものではないと思うのです。
文化とはもっとトータルなものだと思うのです。
今回の件も、むしろ、ファッションや公的な場での態度には、文化的側面からTPOをわきまえたマナーがあることを論じるのが、マスコミの役割でないでしょうか?
“着こなし”はその人から会う人への、メッセージそのものだと思いますので・・・