高島平発・文化的居場所「ミストラル」への夢

地域をファッション・音楽・お酒の“文化”の力で元気に!……地元に文化的な居場所作りを模索しています。

“今日もどこかで”

2008年11月24日 02時08分13秒 | ●“私を支える”一言・本・音楽.etc・・・
自分の体には、ゴキブリの遺伝子も入っているようです。

最近、体重が重たくなったこともあるのですが、この所の寒さで動くのが、スッカリ面倒になってきております。

そして、ブログのトラックバックの管理を怠っていたら、しっかりH系のサイトが2つリンクされておりました。

今日慌てて削除したのですが、皆さん被害はなかったでしょうか。

油断もスキもあったものではありません。

数日気づかずにいたので、少し気分がメゲていたのですが、今日はこの曲のCDを買って聴き、何だか気持ちが救われました。

小田和正の『今日もどこかで』という曲ですが、歌詞を書いてみます。

1.気づかないうちに 助けられてきた
  何度も何度も そしてこれからも
  数え切れない やさしさに出会ったきた
  なつかしい笑顔が 浮かんでは消えていく

 *誰かがいつも 君を見ている
  今日もどこかで 君のこと想ってる

  巡り会ってそして 愛し合って
  許し合って僕らは つながってゆくんだ

2.透きとおる光が 分け隔てなく
  すべての人たちに 朝を運んでくる
  その一歩をもう ためらわないで
  誰かがきっと 受け止めてくれる

  いちどきりの 短いこの人生
  どれだけの人たちと 出会えるんだろう

  ほんとうに 大切な人たちと
  かけがえのないその人と この広い空の下で


  降り続く雨は やがて上がる
  かくれてた青い空は どこまでも広がってく

 *誰かがいつも 君を見ている
  今日もどこかで 君のこと想ってる

  巡り会ってそして 愛し合って
  許し合って僕らは つながってゆく

 *誰かがいつも 君を見ている
  今日もどこかで 君のこと想ってる

  巡り会ってそして 愛し合って
  許し合って僕らは つながってゆくんだ


60過ぎの人が書くには、少し照れくさいフレーズでしょうが
60過ぎだから分かる 人生の意味があるように思えます。

 “誰かがいつも 君を見ている
  今日もどこかで 君のこと想ってる”


今日も田舎の80過ぎの父から夕食後に、特に用もないのに家族の声が聞きたくて、電話がありました。
(私は酔払って寝ており、気が付きませんでしたが・・・)

何か毎日、離れている親や家族のこと、地元の友達や知合い、仕事の仲間に今までお世話になった人を、必ず想い出している気がします。

あるいは同じように、私のことを想い出してくれる人が、いるのかもしれません。

そういう人が周りにいるから元気になれ、そういう人に出逢って学び合うのが、人生の意味のような気がします。

私も今まで気づかないうちに、いろいろな人に助けられてきたので、これからは気づかれないように誰かを助けねば・・・
コメント
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