【永田満徳(みつのり)】 日本俳句協会会長代行 俳人協会幹事 俳人協会熊本県支部長 「文学の森」ZOOM俳句教室講師

「火神」主宰 「俳句大学」学長 「Haïku Column」代表 「秋麗」同人 未来図賞/文學の森大賞/中村青史賞

28号【熊本の祭(13)】

2019年09月16日 12時08分22秒 | 総合文化誌「KUMAMOTO」
総合文化雑誌「KUMAMOTO」28号
NPO法人 くまもと文化振興会
2019年9月15日発行

《熊本の祭(13)》

   一 『御田植祭』野原八幡宮(荒尾)ー

   永田 満徳
【後半抜粋】
御田植祭は、「のばらさん」と呼ばれ、地元で親しまれている野原八幡宮で、五殻豊穣、秋の豊作を祈願する恒例行事として、毎年六月二十五日に行われている。昔ながらの古式ゆかしい田植えの儀式で、伝統ある行事である。
そもそも、御田植祭は古くから寺や神社、皇室などが所有する領田(=御田)で、豊作を祈念する行事である。田植えを行ったり、地域の芸能などを加えたりする。
昭和四十九年十一月二十三日、新嘗祭の際、一隅にある約十三アールの土地の活用について、総代会で協議した結果、神饌田(水田)として開拓し、古式に倣って田植行事を行い、敬神尊崇の念を高揚し、収穫されたお米は新嘗祭に献上し、残りのお米は氏子全体に頒布することに決定する。開田工事は昭和五十年、五月三十日に完成し、第一回の御田植祭は昭和五十年七月三日に行った。
野原八幡宮の御田植祭では、拝殿でお祓いの儀式が行われた後、狩衣の神官を先頭に、裃姿の大田主(総代会長・公民館長)や早乙女、唄姫などが列を作り、境内の一角にある神饌田(水田)へ移動する。途中、火男(ひょっとこ)踊りの奉納があり、爆竹とともに御田植祭が始まる。水田に苗が投げ込まれると、赤い腰巻きとたすきをかけ、菅笠に絣の着物に身を包んだ早乙女一五名に八幡小学校の児童が加わり、豊作を祈願する八名の唄姫による田植え歌に合わせて横一列に並んで田植えをする。平成二十九年に皇室への献穀田に選ばれたので、竹矢来が建てられて、そのままになっている。なお、唄姫は各地区婦人部の世話で唄いの練習を何度かおこない、野原・菰屋・川登・今寺・上赤田・下赤田・川後田・井川口・八幡台各地区の区長と宮総代がお田植祭りを取仕切る。
御田植祭協賛俳句大会は、第一回御田植祭より二年遅れ、昭和五十二年から始まっており、今年で第四十三回である。県外からの参加もある。
(ながた みつのり/俳人協会熊本県支部長)
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