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抜き書き帳『出発は遂におとずれず』(4)

2016年07月13日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
「兆」
【206ページ】
井伊は疲れている、と巳一は思った。他の二人はその両側にいたが、別に額を寄せて重大事を話し合っているという様子もなく、煙草を口にくわえて、ちょっと放心の様子があった。

【210〜211ページ】
人々の人民がですよ、要するにですよ、小説などはつまらないことなんです。それは文字というものの暴力ですよ。現実は文字を必要としません。従って小説など不要です。そのことを私は自分の小説で証明するのです。そのためには凡そくだらないものを書かねばならんのです。人々が小説など全く読まなくなるようにね。現実は現在というものを百パーセント、エネルギッシュに生き、その時文字は悲愴な顔付きをして引っこんでいて、現実がすっかり忘却と亡佚(ぼういつ)の波にさらわれてしまった後で、唯一の、そうです殆んど唯一の証拠品として後の世の人民の前に残されるなどということは全く文字の屈折した暴力ですよ。

[ken] たばこを吸う人なら思い当たることでしょうが、放心状態では、たばこがよく似合うと思います。210〜211ページの「小説不要論」や「文字の屈折した暴力」については、島尾さんの良識や覚悟が登場人物を通して語られているのでしょう。世の中にあって小説は生活必需品ではなく、現実の前では大人しく振る舞っているにもかかわらず、過去の証拠品としてだけ残されるという認識と、それを一種の「暴力」と規定する考え方に目を開かれました。(つづく)
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土着こそが真のグローバル!

2016年07月13日 | O60→70(オーバー70歳)
▼先週の『カンブリア宮殿』は「当たり前の中に“宝物”がある」がテーマでした。
▼登場人物はカシワさん、現役を引退したタカタさんで、お二人の「土着こそが、真にグローバルなのだ」という言葉が印象的でした。
▼また、村上龍さんも同じ観点から「日本の伝統行事は資源である、ということを考えてこなかった。----ハロゥインではなく、日本の伝統行事こそ価値がある」と述べており、とても共感できました。
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スクランブル交差点を渡るとき!

2016年07月13日 | O60→70(オーバー70歳)
▼渋谷には、月に一、二度、来ないとあかんわなぁ〜って思いました。
▼センター街から見えるLOFTの看板が動いたので、びっくりしました。何度も通ってるのに、初めて気づきました。
▼山手教会も懐かしいです。若い頃、一室を借りてフランス語版『資本論』(もちろん日本語訳)の勉強会をしていたんだっけ。
▼PARCOの壁面からは、シン・ゴジラが飛び出そうとしていました。
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