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先月、石川県在住の後輩から勧められた『出発は遂におとずれず』島尾敏雄著(新潮文庫、昭和48年9月30日発行)を読み終えました。たばこに関する抜き書きを投稿しますので、ご参照いただければ幸いです。
「単独旅行者」(昭和22年10月)
【48ページ】
----、いわば気が遠くなって来たのだ。そういう瞬間が度々なって来た。あの、群衆に酔って「いわゆるあがっている」状態で、何もむずかしい意味合いではなしに、何処か肉体的欠陥から、莨(たばこ)を飲み過ぎたとか、二、三の飲食店でえたいの知れないものを食べたとか、そんなことがきっかけとなってその状態が導き出されて来るのに違いない。
【64〜65ページ】
「それね。お友達の人、帰って来ました。その人のね。ワーニャのお嫁さんの言葉教えて呉れたの。(ニコライがロシヤ文字の入った莨を持って来て「莨吸いなさい」「僕持っています」「いいよ、お吸いなさい、上等莨です」)ワーニャ連れて行かれました。わたし心配です。とても心配です。(僕は首を振って見せた。そして細身の日本莨より長い感じの巻莨を手を伸ばして取って口にくわえた。)マッチを持っていないので、----。ニコライは胸のポケットからライターを取り出して、ぱちっと点火して大きな手屏風のまま僕の鼻先に持って来た。僕の莨に火がつくと、----」
[ken] たばこを「莨」と書く小説は、とくに戦後のものでは珍しいです。島尾さんにとっては、その方がしっくりくるのだと思いました。(つづく)