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良平は、ふた親といっしょに秦野にいた。父は秦野の煙草専売所につとめていた。そうでなかったかも知れない。そのまえに平塚にいて、平塚から秦野へ人力に乗って引っこして行ったのを覚えている。
[ken]著者の中野重治氏のプロフィールによると、お父さんは当時の大蔵省専売局の職員であり、日本有数の葉たばこ生産地であった秦野、さらには買い取った葉たばこを乾燥するための工場が平塚にあったことから、父の転勤に伴い秦野や平塚で暮らしたことがあったそうです。
そんな歴史は秦野市に残っており、1948(昭和23)年に葉たばこ耕作者の慰労のために開催された「たばこ祭り」は、秦野市内の葉たばこ耕作が終了(1984年)しましたが、現在に至るまで続いています。今年(2017年)は記念すべき70回目を迎え、約34万人もの人たちが訪れました。
なお、秦野工場では長くたばこ製造が続いていましたが、1987年に近隣の小田原工場に統合され、跡地は商業施設のイオン秦野SCとなって現在も賑わっています。
また、「そのまえに平塚にいて」とありますが、平塚工場は1937(昭和12)年に大蔵省専売局東京地方局平塚葉たばこ再乾燥工場として設置され、その後、緩和刻工場として操業してきましたが、2016(平成28)年3月に閉場となっています。(つづく)