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谷崎潤一郎さんと文化勲章!〈英訳付〉

2020年09月29日 | O60→70(オーバー70歳)
谷崎潤一郎さんに興味があり、いろいろ検索していたら、文化勲章について面白い事実を知りました。

谷崎潤一郎さんは1949年に文化勲章を授与され、恩師である永井荷風さんは遅れること3年後に文化勲章を授与されました。

また、長い文化勲章の歴史とたくさんの受賞者の中で、辞退者はたった2人(訂正→4人)(「河井寛次郎さん、熊谷守一さん」大江健三郎さん杉村春子さん)だけでした。歴史の浅い国民栄誉賞の辞退者はけっこういますが、文化勲章を辞退した人はとても少ないのですね。

それにしても、谷崎潤一郎さんには驚かされることが多々あり、例えば、70歳で「鍵」を書き、75歳で「瘋癲老人日記」を命を削りながら書いたことには、著しいほどの敬服とリスペクトの感情に満ちあふれました。

I am interested in Mr. Junichiro Tanizaki, and while doing some searching, I learned an interesting fact about the Order of Cultural Merit.

Mr. Tanizaki was awarded the Order of Cultural Merit in 1949, and his mentor, Kafu Nagai, was awarded it three years later.

Also, among the long history of the Order of Cultural Merit and its many recipients, only two (corrected → four) ("Mr. Kanjiro Kawai and Mr. Moriichi Kumagai" Kenzaburo Oe and Ms. Haruko Sugimura) have declined the award. While there have been quite a few people who have declined the National Medal of Honor, which has a short history, there have been very few who have declined the Order of Cultural Merit.

I was filled with a remarkable amount of admiration and respect for Junichiro Tanizaki, who wrote "The Key" at the age of 70 and "Diary of an Insane Man" at the age of 75, both at the cost of his own life.



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使う物と毎日会話できるような物を作れ

2020年09月29日 | O60→70(オーバー70歳)
「使う物と毎日会話できるような物を作れ」とは、バーナード・リーチさんの言葉らしいですが、それは物だけではなくて言葉においても当てはまると思いました。

先日放送されたNHK「世界は欲しいモノにあふれている」(JAPAN!究極の“台所道具”)は、JUJUさんと今は亡き三浦春馬さんの番組で、とくに輪島塗職人さんがバーナード・リーチさんから聞いた言葉が強く印象に残りました。
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