ビギナーズ古典読書会。今回が4回目。課題本は『荀子』(湯浅邦弘著、角川ソフィア文庫)。もともと3回で終了する予定だったが、3回目の『孟子』をやったあと「性善説の孟子をやったら、性悪説の荀子もやりたいなあ」みたいな話から“エクストラ・ステージ”へ突入。
本書を読んで、私が一番感じたのは「性悪説」の本来の意味。「人の性は悪であり、人は本性のままでは善に向かうことはできない。『よくない性質』は学問や礼儀の力で『善』に向かっていける」というもの。「悪」という文字を使っているが、ニュアンスとしては「よくない性質」ほどの意味らしい。どうも文字イメージから曲解されている部分がありそうだ。
私としては、人の本性は、悪や善というより、もっとナチュラル、無垢なものじゃないかと思う。それが学問や礼儀など、後天的な教育やしつけ、あるいは付き合い人や置かれた環境によって変わってくる。そういう意味では「性善説」や「性悪説」と善悪に振るより、「性然説」「性素説」「性無説」みたいな言葉の方がぴったりくる感じがする。
そんなことを意見交換しながら、2時間の勉強会が終了。その後30分ほど雑談をする。
今回はNやんが、一連の角川ビギナーズ・クラシックスの中国古典23冊を、時代やカテゴリーで整理したマップを共有化してくれた。それを見ながら「諸子百家でまだやっていないのが『孫子』だ」「儒教の流れでは後年の『大学・中庸』や『菜根譚』も面白そう」みたいな話から、本会は今後も3ヶ月に1度くらいのペースで細く長く続けていこうということになった。
次回は5月に『孫子・三十六計』を開催予定。内容・頻度・負担感という点からみて理想の会になった。3か月後が楽しみである。
本書を読んで、私が一番感じたのは「性悪説」の本来の意味。「人の性は悪であり、人は本性のままでは善に向かうことはできない。『よくない性質』は学問や礼儀の力で『善』に向かっていける」というもの。「悪」という文字を使っているが、ニュアンスとしては「よくない性質」ほどの意味らしい。どうも文字イメージから曲解されている部分がありそうだ。
私としては、人の本性は、悪や善というより、もっとナチュラル、無垢なものじゃないかと思う。それが学問や礼儀など、後天的な教育やしつけ、あるいは付き合い人や置かれた環境によって変わってくる。そういう意味では「性善説」や「性悪説」と善悪に振るより、「性然説」「性素説」「性無説」みたいな言葉の方がぴったりくる感じがする。
そんなことを意見交換しながら、2時間の勉強会が終了。その後30分ほど雑談をする。
今回はNやんが、一連の角川ビギナーズ・クラシックスの中国古典23冊を、時代やカテゴリーで整理したマップを共有化してくれた。それを見ながら「諸子百家でまだやっていないのが『孫子』だ」「儒教の流れでは後年の『大学・中庸』や『菜根譚』も面白そう」みたいな話から、本会は今後も3ヶ月に1度くらいのペースで細く長く続けていこうということになった。
次回は5月に『孫子・三十六計』を開催予定。内容・頻度・負担感という点からみて理想の会になった。3か月後が楽しみである。