坂本龍一のファーストアルバム『千のナイフ』は、1978年10月に発売された。YMOのデビューが1978年11月。実は教授はYMOより一か月早くソロデビューをしていた。
このアルバムはほとんどプロモーションされなかったので、当時数百枚しか売れなった。しかし私はこれがテクノミュージックの金字塔だと思っている。1曲目のタイトル曲から全6曲トータル46分間、1秒も隙がない。
同時代のクラフトワーク、後にプロディジー、アンダーワールド、ダフトパンク等、あまたの世界的なテクノミュージシャンが出現するが、“引き出しの数”はSakamotoが圧倒している。
1970年代、まだ日本のヒットチャートは、歌謡曲・演歌・ニューミュージックが主流だった。そんな時代にこのクオリティの作品を、しかもYMOと同時進行で制作していたのである。
世界に通用する独創性を持つ唯一の日本人音楽家。もうこんな人は、この国からは出てこない。
このアルバムはほとんどプロモーションされなかったので、当時数百枚しか売れなった。しかし私はこれがテクノミュージックの金字塔だと思っている。1曲目のタイトル曲から全6曲トータル46分間、1秒も隙がない。
同時代のクラフトワーク、後にプロディジー、アンダーワールド、ダフトパンク等、あまたの世界的なテクノミュージシャンが出現するが、“引き出しの数”はSakamotoが圧倒している。
1970年代、まだ日本のヒットチャートは、歌謡曲・演歌・ニューミュージックが主流だった。そんな時代にこのクオリティの作品を、しかもYMOと同時進行で制作していたのである。
世界に通用する独創性を持つ唯一の日本人音楽家。もうこんな人は、この国からは出てこない。