物部の森

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日記風に書いてます。

三沢光晴のこと ~プロレス界のカリスマ堕つ~

2009年06月14日 | Weblog
 三沢光晴というプロレスラーはすべてにおいて「結節点」的存在だったと思う。

 1981(昭和56)年デビュー、すぐに二代目タイガー・マスクとして、全日本プロレスの「王道」スタイルにこれまでなかったジュニア・ヘビーの華麗なファイトをもたらす。その後、虎のマスクを自ら剥ぎ取り、平成の時代になってからは、新たにヘビー級レスラーとして全日のエース格へと躍進する。「ヘビー級だけど飛ぶ」ところがたまらなく好きだった。
 99年、ジャイアント馬場の死後は、病床の鶴田ではなく、三沢が全日本プロレスの社長となる。しかしながら馬場元子夫人ら遺族との確執等が原因(ホントのところは詳しく分からない)で全日を飛び出し、新団体ノアを設立。旗揚げ興業のチケット6,000枚はわずか1時間でソールドアウトという伝説をつくる。
 ノアから少し遅れて、新日本を飛び出した橋本真也も同様にZERO-ONEを設立。なんと旗揚げ戦のメインイベントは「ZERO-ONE橋本真也・新日永田裕志vsノア三沢光晴・秋山準」という夢のタッグマッチ。この時の選手入場は、タッグを組む二人が同時に入場するのではなく、それぞれがメインイベンターという位置づけで、一人ひとり別々に登場するという演出だった。試合結果は、橋本の一瞬の隙を付いて三沢がバックドロップで3カウント。興業主のZERO-ONE側が敗れるという大波乱。そして試合直後に小川直也が乱入、その挑発にキレた三沢は小川にエルボーを見舞わせる。その後藤田和之も登場し、リング上は大混乱となる。スカイパーフェクトTVで中継されたこの試合の解説は武藤敬司、期せずして観客からは「武藤コール」が起き、武藤も「俺、(リングに)出なきゃなんないのかよっ!」と解説席で叫ぶ異常な状況となった。私はこの試合を、旧来のしがらみをすべて払拭する「プロレス界の規制緩和の瞬間」だと認識している(ビデオあります。欲しい人言って下さい)。その後三沢は団体の垣根を越えて、蝶野、武藤、佐々木、小島といった新日の流れを汲むエース級レスラーとすべて戦っている(結局、武藤とはシングルマッチでは実現せず)。
 ノアの代表取締役社長として団体のPRも兼ねてTVのバラエティ番組にも結構出ていた。このあたりは鶴田・藤波世代まではあまりなかったことである。最近では2~3ヶ月ほど前にテレビ東京「ポケモン・サンデー」に出演、スタジオでロバートとポケモンバトルを繰り広げた時は、不思議そうに私を見つめる子供を尻目に朝から「ミッサワッ!コール」を送らせてもらった。

 こうして三沢の人生を振り返ると、彼こそまさに、「昭和のプロレスと平成のプロレスの結節点」であり、「ジュニア・ヘビー級とヘビー級のファイトスタイルの結節点」であり、「プロレス他団体どうし-元を辿れば全日と新日-の結節点」であり、「選手としての現場と経営者としてのフロントとの結節点」であるのだ。

 ノアファンの中には「プロレスラー三沢最強説」を唱えている“信者”が多い。私も「プロレスで培われた受け身偏重のスタイルを、もし本気で攻め一辺倒にした場合、三沢は相当強いのではないか」という幻想を抱いていた。できれば、ノア設立後まもなく、「心・技・体」が一番充実していた時期に、PRIDEあたりに殴りこみをかけ、ガチの三沢を見せてほしかった。が、結局「箱舟」は総合のリングへ導かれることなく、「プロレスとリアルファイトの結節点」は幻に終わってしまったのである。

 三沢の死でプロレスがもう終わってしまうのではないか・・・。そんな危惧を抱いてしまう。
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4 コメント

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三沢を悼んで (T先輩)
2009-06-14 22:49:43
よくぞしっかり書いてくれました。今朝新聞で見て大変ショックでした。私は学生時代東京でグリーンボーイ時代の彼を見ていて、その後大エースに成長したときは感慨深いものがありました。レスラーとしてはエルボーとフェースロックというシンプルな技を決め技に使うあたり、格闘技ブームの兆しを取り込んだクレバーさがあり、経営者としても馬場の路線を継承しつつ、馬場・猪木なきあとのプロレス界全体を見据えた度量の広い動きが印象的でした。歳も私の一つ上でほぼ同世代。切々たる哀悼の意を禁じ得ません。今日はいつもの柔道教室で、子供たちに特に念入りに後方受身を教えました。鍛えたプロレスラーの人でも受身を取り損なうと死んでしまうんだからね…、と。合掌。
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Unknown (モジャン)
2009-06-16 07:54:14
昨日はおつかれさまでした!
あまりこの件では話ができませんでしたが、色々語りたいこと満載です。先輩の昨日夕方のメールも拝読しました。一回集まりましょう。

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Unknown (oma)
2009-06-19 12:59:47
omaが阪神&サッカーネタ以外にコメントするのはいささか意外と思われるかも知れませんが・・・
私が三沢を知ったのは大学生の頃、夜中のプロレス中継を見てて突然、確か川田がタイガーのマスクをはぎ取り、三沢となって対戦相手(覚えてませんが)にエルボーで突進!その瞬間電流が走りました!その後、強い者、鶴田やハンセンに立ち向かっていく姿、川田&小橋に胸を貸しながら自分も成長していく姿、後輩たちを成長させる姿・・・私自身は川田&小橋と名勝負を繰り返していたころまでしか実際は見てませんが、あの他のプロレスのように派手ではなく、総合格闘技とは違う「受け」も魅せる三沢のスタイルが大好きでした!マスクを剝してすぐの対鶴田戦、福沢アナの「三沢光晴、涙がでるぞー!」の実況ははっきり覚えてます!一昨日、夜中、家のビデオテープをひっくり返し出てきた、1992年の3冠戦、ハンセンから王座を奪取した試合を見て、最初は懐かしかったのですが、やっぱ最後は悲しくなりました!今日のG+の追悼番組、しっかり録画して目に焼き付けます。モジャンさん、最初の頃の対鶴田戦のビデオ、持ってません?持ってたら貸してください!
それでは三沢さんのご冥福をお祈りします!
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OMAちゃんへ (モジャン)
2009-06-21 07:24:43
熱いコメントをありがとう!
そうか、OMAちゃんは、虎のマスクを剥ぎ取る瞬間のあの試合を観てたんですか!?それは電流が走ったでしょう。相手は、サムソン冬木です。冬木も今はいないんやね。プロレスラーはほんと短命ですね。
「涙がでるぞ~」の鶴田戦は、三沢の勝利でした。ビデオは持ってないわ、ゴメン。
また語ろう!
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