◇喜連川から那須塩原まで
昨夜は湯上りにとりあえず自販機の缶ビールで喉を潤した。最初の
一杯はたまらないおいしさである。食事のときにジョッキ生を1杯飲んだ。
身体が疲れていたし、温泉効果もあってか、たったそれだけで目が回る
ような酔いであった。男子バレー観戦ももそこそこに寝入ってしまった。
翌日の空は厚い雲。太陽がない分寒い。風がないのが救いである。
旅館のお茶はほとんど例外なくまずい。安い茶葉を使っているせいだ
ろう。ひどいのはパック1個だけ。色がついていることで緑茶だとわか
るといった代物もある。それなのにここの宿のお茶は、お茶音痴の我輩
でも「うーん、この茶はなんとうまいか。」とうなったくらいおいしかった。
普段、茶を1日に2リットルは飲んでいようかという茶女のわが局は、
「こんなにうまい茶は珍しいのう。」ということで、ペットボトルに一杯に詰めて
道中に備えることにした。
内川に架かる「金龍橋」を渡る。道は旧陸羽街道と呼ばれる県道を歩
く。鉢巻をしたような珍しい柿を見つけた。手を伸ばせば取れるような
所に生っている。「柿は、上生りは鳥のために、下生りは旅人のため
に」と言われてはいるが、そうは言ってもなかなか無断で戴くことはで
きないものだ。
中山道や甲州道と違って坂道も緩やかである。それでも滑り止めの砂
袋が置かれているのを見れば、冬場は凍結して難渋する車があるのだ
ろう。
ここだけではないが道は自動車のためにある。歩道はない。白線は何
のためかといえば「ここは道路である。車両はこの線の中を走りなさい。」
という意味しかないのではないか。小さくなって「歩いたりしてごめんなさ
い」。左側を歩いていると風に吸い込まれるし、脇見運転でもされでもし
たら即冥界に行くことになるのでこわい。
沢庵用の大根と柿が干してあった。懐かしか~。
(ちなみに写真にある「菅公」というのは学生服のブランド名です。)
内川 珍しい鉢巻柿 砂袋
車両中心の道 双体道祖神 懐かしい田舎の原風景
[佐久山宿]
道がさくら市に別れを告げ、大田原市に入る。やがて「佐久山
前坂」信号を左折し、佐久山宿に入る。折りしも佐久山城跡
では先週から恒例の「もみじ祭り」。ここのもみじ葉は、佐久山
の殿様那須氏は土佐山内氏の流れを汲む故、土佐から持って
きたもみじが実生で増えて、立派な木に育ったという。普通より
葉が小さくて色鮮やかだとか。
公園には商工会の婦人部のおばさんらしき人が二人、お店を張
っていた。おでん、焼きそば、甘酒、コーヒー(インスタント)、大判焼き
などを売っていたが、寒いし火曜日ということもあり客はいない。
ちょっと休憩しようと甘酒とコーヒーを買い求め、腰をおろし紅葉を
愛でた。
宿場通りには立派なトイレがあった。旅人にとっては、こうした
きれいなトイレが用意されていると誠にありがたい。
明治天皇小休所 佐久山宿下町標識 佐久山城跡の紅葉
立派な構えの「正淨寺」を左に見て、岩井橋で箒川を越える。この
先大田原宿まではほとんど一直線で進む。
谷田川という、川幅はそう大きくないが水清き流れがある。天然記念
物イトヨが生息しているという。イトヨ生息の地としては、中山道「熊谷宿」
にもあったし、やはり中山道「醒ヶ井宿」にもあった。水草がたなびく
清流であるが、捨てられたビールの空き缶が1個見え隠れしていて、
実に情けなかった。
この先にある深川も清流でミヤコタナゴが生息しているという。
大田原といえば那須与一の出生の地。道筋には茄子の与一漬け、
与一味噌、与一卵、与一西瓜・・・と、与一に因んだ商品が多い。
まさに与一様さまである。
箒川 イトヨの谷田川 与一卵 与一味噌
[大田原宿]
昼食は大田原宿のちゃんとしたところでとろうと決めているので、直線
道(昔は「縄手道」と言った。)を急ぐ。
神明町信号で右折すると、「忍精寺」がある。ここの紅葉も風情があった。
大田原市はこのあたりでは大きな町なので食事が出来るところはいくつか
あったが、そば系が食べたくて「片岡屋」という蕎麦屋さんに入った。近くに
栃木県の支庁舎があるので、背広姿の役人らしき人が昼定食を食べてい
た。
頼んだ「かき揚うどん」と「かき揚そば」は700円でおいしかった。
蕎麦屋さんからそう遠くないところに「金燈篭」信号があり、交差点に金属
製(青銅?)の燈篭がある。普通石灯籠なので珍しい。初代は戦時中に
供出させられて現在の燈篭は三代目とのこと。
この先は宿場特有の枡形道になっていて、4度角を曲がって大久保木戸
跡に至る。
木戸跡からすぐに道は「蛇尾川」に突き当たる。日光連山に源を発するこ
の川は多分荒れ川ゆえに蛇の尻尾にたとえられたのであろう。上流には
ダムも出来て、蛇行はしているが今は穏やかなものである。
道端の紅葉もきれい 忍精寺の紅葉 与一像 金燈篭
蛇尾川
珍しくコンビニの敷地の隅に小振りながら「中田原の一里塚跡」があった。
また今まで見たこともないヒバの巨木や樹齢500年という高野槙の巨木
があった。
市野沢交差点に「蓑に添う 市野沢辺の ほたる哉」という弘法大師の
句碑がある。
市野沢交差点を越えると次は練貫(「ねりかん」ではなく「ねりぬき」と読
む。ねりかんと言えば、その昔東京に「練馬鑑別所」という少年院があっ
て、練鑑ブルースという歌が歌われたことがある。)交差点まで3キロほど
直線コースを歩く。
今日は街道歩きはここ「練貫」まで。
バスは2時間に1本。次は6時頃なので、仕方なく新幹線「那須塩原駅」
まで3.7キロをとぼとぼ歩く。
次回は絶対タクシーを使うぞ。
(本日の歩行距離はおよそ30km)
中田原の一里塚跡 大ヒバ 高野槙の巨木 弘法大師碑
練貫交差点