◇「新川」は昔割烹今フランス料理
予ねて知人から「なかなかいいわよ」と紹介されていたが、なかなか行く機会が
なかった。私の話を聞いた家人が友達グループと行って、「なかなかよかった」と
言っていた「新川」。
この度2人の娘の家族(長女の家族は広島に転勤になったので不参)と総勢8人
での昼食会。
場所は東武野田線運河駅から徒歩で7~8分ほどの土手上にある。
目の前を運河が流れている(ように見えるが流れと言っていいのかどうか)。
桜時には見事な景色になる。
ご存じのように昔は東北のコメなどの物産は,主として船で房総沖を回って江戸
に届けられていた。ところが房総沖は海が荒く、船荷が海の藻屑と化すことがま
まあったので、利根川を遡上り関宿で江戸川に入り江戸に物資を運ぶルートも
盛んに使われた。そのうち、わざわざ関宿まで行かずとも、途中で運河を作って
江戸川をつなげば、相当な時間と船賃が節約できる。というわけで掘られたの
が「利根運河」。外国(オランダ)から土木技師を呼んで、明治21年に着工、た
った2年で開通させた。事業は成功し、人も物もこの運河を使って江戸へと向か
った。当然要所には船宿や料亭などが出来て繁盛する。
「新川」は大正末期の創業か、築90年の旧い和風建物をそのまま使っている。
昔ながらの割烹旅館が和食専門の「割烹新川」。一方フランス料理の店は
「ブラッスリー(Brasserie)しんかわ」。
門をはいると左手に入口があって、入ろうとしたら「洋食の店は裏側」と言わ
れた。和風建築のガラス戸をあけると広い式台があって、昔小学校で用務員の
おじさんが授業開始の合図に使っていたような「カランカラン」の鐘で案内を請う
とスタッフのお兄さんが出てきて階上に案内された。10畳くらいの和室が4室並
んでいて、それぞれ畳の上に立派な卓子と椅子が6客分並んでいる。
予約時に「幼児同伴ですが」で、もしかして断られるかと思ったがOKだった。
子供用の椅子が3脚もあって、隣の部屋からは子供の声もした。
角部屋の多分一番大きい部屋で、アール・ヌーヴォー調のランプなどあって、大正
ロマンを思わせる。(廊下のすだれは、やんごとなき場所の御簾調!)
◇苦手なフランス料理
実はフランス料理は苦手。大きな器で脅かしておいてちょこんと本体が乗って
いる。ちまちまとしてきれいに飾ってあるが、能書きほどのおいしさがよく分から
ない。
まずはオードブル。 この二つから選択です。
次はスープ。マイタケのポタージュでしたが、つい撮るのを忘れました。
メインディッシュの魚料理と肉料理。これはうまかった。魚は「さわら」。肉は「○○豚」。
試しにとったフォアグラ(ハンガリー産)。味はちょっと…。 肉料理の選択になっていた鴨肉。
最後はデザート。「叙勲おめでとうございます。これシェフからのサービス
です。」と特別にチョコレートでメッセージが入ったデザートが出て来た。
(左が普通のデザート。これも後で来るのかと思ったが来なかった。)
今回のフランス料理のフルコースは、量も味も(薄味に慣れた吾輩には
少々味が濃い感じがしたが…)まずまずであった。(白ワインはなかなかで
あったが、さすがに生ビールは出してくれなかった。)
二階への階段わきに早くもクリスマスツリーが飾ってあった。
明治23年(1890)に通水した利根運河(8.5キロ)は、これまで関宿周りで
東京ー銚子18時間を5時間短縮させ、大いに賑わったわけであるが、明治
27年の総武線、29年の常磐線、31年の成田線など鉄道の開通で急速に
優位性を失っていった。また明治43年の洪水、昭和16年の洪水で運河機
能が失われ、利根運河㈱は破たんし国有化される羽目に。
その後首都圏の都市用水需要の増大に対処する利根川の利水計画によ
って再び利根運河が見直され、再生が図られた(昭和43年)。
平成19年には日本の近代化遺産として認定された。
食事を終え、外に出たら雨も上がっていた。
桜の巨木の下を、かつて賑わった「利根運河」の船の群れや船宿などを想
像しながら帰路に着いた。
「新川」から流山街道の橋を望む 土堤の桜並木
(以上この項終わり)