読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

『新老人の思想』―五木寛之―

2014年04月13日 | 読書

◇ 『新老人の思想』 著者:五木寛之 2013.12 幻冬舎新書

   


  新聞の書評で知って市の図書館にリクエストしてようやく手にしたこの本、かねて
 この本は、新・老人の思想なのか、「新老人」の思想なのか、気になっていたが、読
 んでわかった。世界でも経験したことが内スピードで進む日本の高齢化の主人公を
 「新老人」としてとらえて、自らを含むこれら新老人が、併存する他の若年層、勤労層
 との関係において、どのように身を処すべきかを説いている、というより自分の考え
 をもって提言している本である。
  あとがきにあるが、本書の内容は日刊ゲンダイに連載していた随筆(本人いわく提
 言)を選んでまとめたものである。だから新老人の思想からかけ離れた話題も混じっ
 ている。

  著者五木寛之は現在81歳(昭和7年(1932)生まれ)、小生より幾分か年上である
 が直言居士であった焼跡闇市派野坂昭如氏(昭和5年10月生まれ)らとあまり違わ
 ない。いわゆる戦中派(1920年代に青春時代を過ごした年齢階層)と我が戦後派世
 代との中間に位置する人と見て良い。

  「豊かさについて考える」という章でカツ丼について触れている。著者が学生であっ
 昭和27年ころのこと、20円のコッペパンにピーナツバターを塗って25円の時代だっ
 た。アルバイト先製本屋で残業の後に社長の奥さんが取ってくれたのが熱々のカツ
 丼。こんなに旨いものがこの世にあったのかと、半ば呆然とした。「よし、いつか俺も
 朝昼晩カツ丼を食べられるようなブルジョア階級になってやるぞ」と固く心に誓った。
 という思い出を述べている。もう一度カツ丼を涙しながら食べる世に戻したいとは思
 わないが、今の日本は少し贅沢に堕していないかと懸念を示している。全く同感で
 ある。小生にも似た経験があり、どうやら吾輩も準五木派に属するとみた。

  ともあれ五木氏の思う「新老人」とは、各世代を若年階級、勤労階級、老人階級と
 してとらえ直し、いまや階級間対立状態にあるとみる。そして、団塊世代の参入で
 怒涛のごとく増えつつある老人階級は、いまやこれまでの老人と全く違うタイプの
 老人であるということだ。
   体力も意欲もまだ残した老人が一定の年齢になって、「老人」として放り出され、
 現役社会からは厄介者として扱われる。
  五木氏は新老人は若年階級、勤労階級に頼ることなく、独立と自立を旨として生
 きなければならないと説く。他の階級に依存することなく、老人階級内で、持てる人
 は持たざる人を助け、自立しなければならない。
  というにだが、果たしてどうか。輪総論的には分かるのだが、実際問題として老人
 階級内で互助的な内部完結的な仕組みが出来るのか、うまく想像できない面があ
 る。

 ともかく著者が提言している新老人についての理解と対処法についてポイントを
 いくつか挙げてみよう。
 
  人生50年といった時代では、長寿老人は祝福されたが、いまや90,100歳は当た
 り前になった。長生きは決しておめでたいことではない。実は恐ろしい世界で、なか
 なか死なない、死ねない世の中になった。医療の世界では死なないように努力を惜
 しまない。高齢者の8割は逝けないでただ生きている。これからは社会からリタイア
 を迫られているのに体力・気力・能力が衰えない人たちが増え続け、後進階級に負
 担を強いることになるのだ。
  だから自分のことは極力自分でやろう。国や行政に頼らない。勤労階級や若年階
 級に負担させないようにしよう。それが出来ること(健康であること)を感謝しよう。
  90,100歳を過ぎても元気で活躍している人をやたら紹介しているがあれは全くの
 例外の人(日野原さんや三浦雄一郎さんなどはお手本に出来そうもない)。

   著者は言う。超高齢者世代には三つの難関が待ち構えている。その一は病気、そ
 の二は介護、その三は経済的保障。80になったら8つの病を抱えていると覚悟すべ
 し。また老化すれば身体は不自由になり介護を受けねばならなくなる。そして経済
 的保障。今後高齢者が当然のごとく国や家族の保護を当てには出来なくなる。その
 心構えは高齢者のレッテルを貼られた時点ではもう遅い。せめて50歳を過ぎたら
 将来の見取り図を作っておくべきだというのである。
 (至極ごもっとも、真っ当すぎるほどの提言である。誰もが出来ることではないだろ
  うが…。)

  人は70歳を過ぎたころから生きることに疲れを感じ始める・・・、一日でも長く生き
 たいと願いつつ、心の底で「もうそろそろいいかな」思う時があるのではないか。
 (前にも書いたが、かつての下宿先のおじいさんは70過ぎたらよく「もういいや」と言
  っていた) 
  
  老化は自然のエントロピーである。生命の酸化と覚悟すべし。
  50になったら50らしく、80になったら80らしく見えるのが自然でなので、80であり
 ながら50に見せようとするのは不自然である。(その通り。無駄な抵抗は止めた方
 がいい。「アンチエイジング」は業界の悪だくみと思うべし)

  (以上この項終わり)

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