◇ 国民不在の政治
このブログに政治向きの話題を書くことは余りしたくなかったが、いらいらが募りついに書いてしまう。
このところ中央政界、政府内部ではこの度の震災・原発事故以降国政が混沌とし、まつりごとが停滞
している。とりわけ要の政権政党とその頭領である菅総理がリーダーとしての役割を果たしていない。
やることなすこと、すべからく「国民のため」という視点が欠けている。本人はそうではない常に国民
の幸福を念頭に(ご当人に言わせれば国民の不幸を最小限に)置いて政治をしているとおっしゃる
だろうが、私にはそうは見えない。
震災後4カ月というこの時期に、なお9万人の避難所生活強いられている人たちが辛い夏にあえい
でいるというのに、優先度の高い復興事案はそっちのけにして、「新エネルギー法案」だの「ストレス
テスト」だの、とにかく唐突に思いつきとしか言いようのない話を持ち出して自党内を初め周辺を驚か
せている。これは菅内閣に見切りをつけている有権者・国民が大半を占めているという現状からすると、
こうした動きはまさに延命を図っているとしか言いようがない悪あがきで、まさに唖然とする。物事の優
先度も弁えないで、次から次と課題を持ち出してくる。その根底には国家観も何が今国民にとって一番
大事かという視点が全く欠けている。いわんや原発の是非を問う解散・選挙をちらつかせるなどもって
のほか言語道断である。解散権は総理の専断事項とはいえいま解散という話ではあるない。いま求め
られているのは原発政策を今後どうするのかより先に、この夏を、今後の電力需要に応える供給力を
どう確保することだろう。太陽光・風力など自然エネルギーの活用の重要性など、いまさら言われるま
でもない。しかし、泥縄でその量的拡大を図ったところで、絶対量が小さく当面の供給力補強の役に立
つものではない。火力にしても新規立ち上げに数年かかる。そうすれば現に稼働中の原発をいかに
再稼働させるかというのが喫緊の課題ではないのか。何にしても国が確固たる基本方針を示さないま
ま右往左往しているために、原発立地展の地方自治体が困惑しているのだ。もともと原発立地点の自
治体と住民は(もちろん反対する人は常に存在するが)は、原発の安全対策を信じて受け入れてきた
わけで、財政的恩恵も受けてきたものである。原発への信頼が揺らいだとはいえ、とりあえず当面今後
の安全対応についての基本方針が示されれば絶対反対することはあるまい。
後先を考えずに理想論を掲げて走り出すのは、常に反対しておればことが済んでいた野党時代の習
性がもたらした悲しい結果だ。
こども手当とか高速無料化とか、一般受けする施策掲げ挙句にそれに振り回される。政治主導などと
言葉に酔って、能力も経験もないのに政治家がすべてを仕切ろうとする。そしてなにも出来ない。TPP
(環太平洋経済協定)はどうなった、沖縄普天間基地問題は?
政治家は言葉が命というのに軽い言葉を口走る。まさに思いあがりである。何を目指して政治家にな
ったのか。国民の幸せと安全を守るためにという使命を自覚していなかったのか。菅総理も、権力に執
着せず恬淡と政権を去った政治家石橋湛山のような身の処し方を倣えば、晩節も汚れまいに。
(以上この項終わり)
<追伸>
書き忘れ。
この間新聞のカラムで、菅総理が「刀折れ、矢尽きるまでがんばりたい」と語ったと伝えた。
ご本人は、苦境にありながらも総理大臣という職務に全力を挙げて取り組み、皆さんの期待に応えたい。
という決意のほどを述べたつもりかもしれないが、まったくカン違いをしている。もはや彼の頑張りを多くの
人は期待していない。党内の多くも党役員も早くやめてくれと言っている。刀が折れてやが尽きると言って
も一体誰と戦っていると思っているのか。誰が敵なのか。まさか自分の意思に反する退陣を望む国民の大
多数を仮想敵として意識しているのではないと思うのだが。勝手な思い込みはこわい。