毎年の7月7日に当地(奈良県・大和高田市)から、世界遺産・吉野の金峯山寺まで、山伏が「蓮の花」を運ぶ行事が執り行われる。役の行者(えんのぎょうじゃ)所縁(ゆかり)の『奥田の蓮取り』と呼ばれる。
昔、役小角(行者)の母(刀良売)が、奥田の蓮池で病気を養っているとき、夏のある朝、池の中にまつってある神社に詣でると、白い蓮花が咲いていて、その葉には金色に光った蛙がいました。刀良売は、一本の篠萱を引き抜いて、何気なく蛙に投げつけたところ、それが蛙の目にあたって、目を損じてしまいました。さして、池の中に逃げた蛙は、もとの土色の蛙となって浮いてきました。そして五色の霧も消えてなくなり、一茎二花の蓮も、もとの蓮になってしまいました。それから、この池の蛙は、一つ目であるといわれています。また、この池の蓮は、一本の茎に二個の花をつけた蓮であったので、めでたいとの前兆ではないかとして、朝廷に献じられたこともあったそうです。この異変ののち、この池は捨篠の池と命じられたといいます。
刀良売は、それから病気が重くなり、42歳で亡くなりました。母を亡くした小角は、心に誓って修験道をひらき、吉野山に入って蔵王権現をあがめ、蛙をまつって追善供養をしました。
以来、毎年7月7日は、吉野の山伏が奥田の行者堂にやって来て、香華を献じ、蓮池の蓮(108本)を摘み、それを大峰山中の拝所に供える蓮華会がおこなわれます。また、この日、吉野の蔵王堂では、「蛙飛び」行事がおこなわれます。 「大和高田市史」より
明日の行事を目前にして準備が進められていた。
奥田(地名)の蓮池の前には説明の碑が3つ立てられている。
午前10時;金峯山寺に縁の深い山伏達が池に船を浮かべ、蓮の花を取る。
取った蓮は山伏と共に池をまわり、
11時半;修験者が善教寺にて集合 ~ 福田寺 ~ 刀良売塚へ参拝
正午;池之端の弁天神社の前で護摩焚き祈祷
などの行事を経て吉野へ運ばれる。
奈良県庁ではこの行事と吉野・蔵王堂「蛙飛び」行事参拝をツアーとしたバスも出し、県の公報で参列者を募集していた。
昔、役小角(行者)の母(刀良売)が、奥田の蓮池で病気を養っているとき、夏のある朝、池の中にまつってある神社に詣でると、白い蓮花が咲いていて、その葉には金色に光った蛙がいました。刀良売は、一本の篠萱を引き抜いて、何気なく蛙に投げつけたところ、それが蛙の目にあたって、目を損じてしまいました。さして、池の中に逃げた蛙は、もとの土色の蛙となって浮いてきました。そして五色の霧も消えてなくなり、一茎二花の蓮も、もとの蓮になってしまいました。それから、この池の蛙は、一つ目であるといわれています。また、この池の蓮は、一本の茎に二個の花をつけた蓮であったので、めでたいとの前兆ではないかとして、朝廷に献じられたこともあったそうです。この異変ののち、この池は捨篠の池と命じられたといいます。
刀良売は、それから病気が重くなり、42歳で亡くなりました。母を亡くした小角は、心に誓って修験道をひらき、吉野山に入って蔵王権現をあがめ、蛙をまつって追善供養をしました。
以来、毎年7月7日は、吉野の山伏が奥田の行者堂にやって来て、香華を献じ、蓮池の蓮(108本)を摘み、それを大峰山中の拝所に供える蓮華会がおこなわれます。また、この日、吉野の蔵王堂では、「蛙飛び」行事がおこなわれます。 「大和高田市史」より
明日の行事を目前にして準備が進められていた。
奥田(地名)の蓮池の前には説明の碑が3つ立てられている。
午前10時;金峯山寺に縁の深い山伏達が池に船を浮かべ、蓮の花を取る。
取った蓮は山伏と共に池をまわり、
11時半;修験者が善教寺にて集合 ~ 福田寺 ~ 刀良売塚へ参拝
正午;池之端の弁天神社の前で護摩焚き祈祷
などの行事を経て吉野へ運ばれる。
奈良県庁ではこの行事と吉野・蔵王堂「蛙飛び」行事参拝をツアーとしたバスも出し、県の公報で参列者を募集していた。