曇りで最高気温が9℃の予想でしたが、8時半頃には雨模様になり11℃まで上がりました。
「寒くなる」との予想に身構えていましたが、とりあえず二桁を維持できたので助かりました。
花粉に黄砂やPM2.5も雨で抑えられたようで少し生きやすかった気がします。
今日は「ありがとうの日」。 そして部分日食の日でしたが、どちらも縁遠かったようでした。
以前にも少し触れたことがありますが奈良盆地の西南端の御所市に「高天原(たかまがはら)」
というところがあります。
天孫降臨伝説というのは各地にあって、以前に宮崎の高千穂に伺った時も『天岩戸』などを
目の前にすると、そこも本当に遥か昔はそうだったのかも知れないと思ったものです。
『日本書紀』 神武三十有一年の夏四月の条を見ると「腋上(わきがみ)のほほまの丘」とか
「秋津洲(あきづしま)」という地名を見ると此処の近所にもそういう地名があるので、こちらも
信じたくなります。
神話では天照大神の御子の天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)に、高皇産霊尊(たか
みむすびのみこと)(別名 高天彦神)の娘、栲幡千々姫命(たくはたちちひめのみこと)が
嫁がれ、その間にお生れにになった瓊々杵尊(ににぎのみこと)が高天原からこの国土に
降臨されます。
腋上は御所市の平野の古称で今でも伝わり、ほほまの丘も丘裾に本馬の地名を残してい
ます。国号の秋津洲もこの地に最初の王朝が築かれたことに由来します。
難しいことを並べてもなかなか理解に苦しみますが、飛鳥時代より以前の卑弥呼の時代
よりもずっとずっとずっと前、この地に神武天皇から開化天皇に至る九代の間、葛城王朝が
存在していたようです。
そんな高天原の台地の一角、背景にかつては古く「高天山」と呼ばれた金剛山を抱く
高天彦神社があります。 下の画像はご神体の白雲嶽です。
鳥居をくぐってまずは狛犬
そして左右に摂社・末社
正面に本殿
と、これだけの神社でひっそりとしていて高千穂や出雲、伊勢神宮のような華やかさや
偉大さは全くありません。社務所もなく、それほど大きくない神社ですが、境内に
立つと何とも言えぬ威厳を感じずにはおれません。
ここから林道を金剛山頂に登っていくと葛城神社と
その社務所へとつながっているそうです。
それからかなり後に編纂された万葉集にも
数々の歌が歌われていました。