松本市岡田塩倉に遊休農地を活用したアンズのオーナー制度を展開しています。今年は摘果にも参加し、これまでの最高700ケを収穫しました。
松本市岡田塩倉に遊休農地を活用したアンズのオーナー制度を展開しています。今年は摘果にも参加し、これまでの最高700ケを収穫しました。
時ならぬ大雪が降った。昨日は伊那市へ出かけていたが、松本より伊那の方が雪が多かった。伊那から、松本へ帰り、上田へ向かう三才山峠はけっこう積雪があり、タイヤチェーンのない大型トラックが3台料金所で退避していた。上田市内はほとんど雪がない。帰りは高速で松本へ向かうが、比較的雪は少なかった。家に着くと数センチの積雪でとりあえず雪をかいて寝る。朝起きると(最初の写真)、けっこうな積雪で水分が多く通路をかくにも一苦労。長野へ行く予定をキャンセルして自宅、実家、事務所の雪かきに精を出す。11時ごろからお日様が顔を出し、雪をかいたところは早くも乾き始めている。夕方には道路の雪はほとんど溶けて、両脇に残る程度。明日には消えてしまうのだろうが、一日往生しました。
朝、新橋交差点から見た常念岳。マイナス6.4℃のなか引き締まった姿でした。
挨拶まわりの途中、蚕糸公園あたりから見た常念岳。ちょうど時計の上に槍が見えるように撮りました。
これは四賀クラインガルデンへ行く途中から撮った常念岳。普段見慣れている姿と角度が変わるとかなり違って見えます。
15回目を迎える善光寺灯明祭り。善光寺本堂が30分ごとに色を変えてライトアップされる。
『オリンピックの「平和を願う精神」を後世に遺して行くため、世界に向けて「平和の灯り」を力強く発信しています。』
1月第2月曜日が成人の日となったのはいつからだろうと調べてみた。インターネットの普及で、この手の調べ物は本当に便利になった。従来1月15日を成人の日としていたのは1999(平成11)年まで。2000(平成12)年からハッピーマンデイ制度の導入で成人の日は1月第2月曜日となったとある。
松本市では成人の日の行事として総合体育館に一同に会して、出身中学別に座り、成人自身が実行委員会をつくって成人式を行っている。私の地元の岡田地区では、市の行事に先だって公民館に集まり記念写真の撮影を行っている。式典で騒がしかったり、飲酒をして参加したりということもあるようだ。松本市では祝辞を述べる教育委員長であった斉藤金司先生が「静かにしなさい」というと、不思議とシーンとなったのは有名な話だ。
ところで本来の1月15日はどういう日であったのか。1月15日は「小正月」「女正月」と言った。小正月の行事に三九郎がある。14日の夜に三九郎をしていた。1月7日に外飾りを降ろして三九郎の松集めに出し、内飾りは14日に降ろして三九郎に持って行った。夜6時ころ「三九郎、三九郎、じっさとばっさと孫連れて、だんご焼きに来ておくれ」と子どもたちは歌って呼び込みを行った。繭玉に模した団子をつけた柳の木をもって出かけ、焼けた三九郎の熾火で焼いて食べると風邪をひかないと言われた。また書初めの習字を三九郎で焼くと字がうまくなるとも言われた。子どもがまだたくさんいた頃は、常会ごとに、翌日焼いた松と道祖神のお札を配りお祝いをもらった。集まったお祝いで年長者が文房具を買い与え、夜は「とうや」でご飯をいただき、かるたやトランプに興じた。その後、町会で一堂に会して行うように変わった。(「とうや」とは、神社の祭礼や講の行事にあたってその中心となる人又はその家のこと)。
「女正月」は、わが家にもあった。この日は、女衆は仕事はしなくてよかった。祖父や父が慣れない手つきで夕食をつくった。くみあいラーメンを食べたこともあった。見るに見かねてか、何年かしたら、母が手伝ってくれればいいと夕食をつくり始めた。
昨日木曽に行った際、木曽町の道の駅でマツタケの地物が並んでいました。最近上田でも店頭に並んでいて同じくらいの量でも5000円とかで、とても手が出るシロモノではなかったんですが、木曽では2800円から並んでいました。今年はどうでしょうかね。16日には上田市東塩田のマツタケ小屋「見晴台」で山開きがあるというご案内をいただきました。盛況であればいいですね。