「非業の生者たちー集団自決サイパンから満州へー」『世界』連載中 下嶋哲郎著
雑誌『世界』1月号から始まった標記の連載は、沖縄県読谷村ではじめて集団自決を取材した下嶋哲郎氏のこだわりの随筆である。
世界でも例のない集団自決は日本固有のものであるという。それは、沖縄で始まったわけではなく、サイパンから沖縄へ、そして満州でも起きた。
集団自決の特徴は、目の前に敵が突然現れた時に起きたことと、家族を基本に行われたこと、犠牲者は子どもが多いことである。
冒頭から、下嶋氏の目は「なぜ、集団自決が起こされたのか」に集中している。
氏は、それを「セットの思想」と説明した。「鬼畜米英」のデマ、「戦陣訓」そして「教育勅語」に代表される「教育」の「セットの思想」であるとする。
教科書検定問題で、沖縄における集団自決に軍の関与がなかったとする検定意見に対して、2007年沖縄県では「9・29教科書検定意見撤回を求める県民大会」が開催され、「日本軍の関与なしに起こり得なかったことは事実であり、体験者による証言を否定し歪曲(わいきょく)しようとするものだ」と県民11万人が抗議の声をあげ、検定意見が「軍の関与を認める」と実質撤回された。
もちろん一軍人の関与が集団自決を促したという簡単な問題ではないし、集団自決は沖縄県固有の問題でもない。8月15日日本は敗戦を迎え、一億総玉砕方針は転換され一億総懺悔となった。まことにおかしな現象である。
下嶋氏は「戦争へのムードを盛り上げていったのは愛国者としての個人ではなかったか」「愛国者はこんなことしか教えられなかった人々であったから愛国者なのだ」と論じている。
であるがゆえに、集団自決のその後は、かかわるすべての人々が「非業の生者」として生涯にわたって引きずってきたことを、一人人一人の苦悩を追う中で下嶋氏は解き明かしていくのである。是非、一読をおすすめしたい。
雑誌『世界』1月号から始まった標記の連載は、沖縄県読谷村ではじめて集団自決を取材した下嶋哲郎氏のこだわりの随筆である。
世界でも例のない集団自決は日本固有のものであるという。それは、沖縄で始まったわけではなく、サイパンから沖縄へ、そして満州でも起きた。
集団自決の特徴は、目の前に敵が突然現れた時に起きたことと、家族を基本に行われたこと、犠牲者は子どもが多いことである。
冒頭から、下嶋氏の目は「なぜ、集団自決が起こされたのか」に集中している。
氏は、それを「セットの思想」と説明した。「鬼畜米英」のデマ、「戦陣訓」そして「教育勅語」に代表される「教育」の「セットの思想」であるとする。
教科書検定問題で、沖縄における集団自決に軍の関与がなかったとする検定意見に対して、2007年沖縄県では「9・29教科書検定意見撤回を求める県民大会」が開催され、「日本軍の関与なしに起こり得なかったことは事実であり、体験者による証言を否定し歪曲(わいきょく)しようとするものだ」と県民11万人が抗議の声をあげ、検定意見が「軍の関与を認める」と実質撤回された。
もちろん一軍人の関与が集団自決を促したという簡単な問題ではないし、集団自決は沖縄県固有の問題でもない。8月15日日本は敗戦を迎え、一億総玉砕方針は転換され一億総懺悔となった。まことにおかしな現象である。
下嶋氏は「戦争へのムードを盛り上げていったのは愛国者としての個人ではなかったか」「愛国者はこんなことしか教えられなかった人々であったから愛国者なのだ」と論じている。
であるがゆえに、集団自決のその後は、かかわるすべての人々が「非業の生者」として生涯にわたって引きずってきたことを、一人人一人の苦悩を追う中で下嶋氏は解き明かしていくのである。是非、一読をおすすめしたい。