毎年行っている原水禁尾非核平和行進。あいにくの雨の中でしたが元気よく行いました。国連の核兵器廃絶決議、朝鮮半島の緊張緩和など国際情勢の動きについては横内ゆうじ原水禁議長が挨拶をしたので、私からは日本の原発政策を転換させるために、いまたたかわれている新潟県知事選挙で池田ちかこ候補者への支援をお願いしました。新潟に親戚・友人のいる方は是非とも「新潟県知事選挙は池田ちかこ」とよろしくお願いします。
毎年行っている原水禁尾非核平和行進。あいにくの雨の中でしたが元気よく行いました。国連の核兵器廃絶決議、朝鮮半島の緊張緩和など国際情勢の動きについては横内ゆうじ原水禁議長が挨拶をしたので、私からは日本の原発政策を転換させるために、いまたたかわれている新潟県知事選挙で池田ちかこ候補者への支援をお願いしました。新潟に親戚・友人のいる方は是非とも「新潟県知事選挙は池田ちかこ」とよろしくお願いします。
毎月第1水曜日は、松本市職労の朝ビラ。5月31日の沖縄平和運動センターの山城博治議長のお話を紹介する記事を私が書きました。
太平洋戦争末期、沖縄県では地上戦が戦われ、「鉄の暴風」と言われるほどの艦砲射撃が行われた。1945年6月23日組織的戦闘が終結した日をもって「沖縄慰霊の日」とし、毎年慰霊祭が行われているが、実際はその後も「生きて虜囚の辱めを受けるな」と住民は逃げ、ガマ(洞穴)に身を潜める等していた。米軍の投降の呼びかけに答えず集団自決した人々も多い。国民を守るはずの日本軍は、ガマから住民を追い出し、あるいは泣き叫ぶ赤ん坊を殺し、方言で話す住民をスパイとして殺すなど悲惨を極めた。
戦後、沖縄県はアメリカの占領下に置かれ、1972年復帰後も在日米軍の74%が集中している。その沖縄県名護市辺野古に新たな基地建設が進んでいる。反対運動の先頭にたって闘っている沖縄平和運動センター山城博治議長が5月31日松本駅前をはじめ、県内で沖縄の現状を訴えました。以下は宮田村民会館で開催された沖縄連帯集会での講演要旨です。(文責:中川博司)
「鉢伏山に昇る日を 光さし来る女鳥羽川」これは、私の母校である女鳥羽中学校の校歌の歌いだしである。いつか鉢伏山にも登りたいと思っていましたが、6月5日登ることができました。崖の湯から登り、鉢伏山荘駐車場に車を置いて、扉温泉登山口方面へ向かう。15分ほど下ると尾根に出ます。白いテープが張ってあるので、それを目安に笹の中をさらに15分ほど下ると現場です。
私たちが行く前にすでに花が手向けられていました。ピンクのカーネションです。ピンクのカーネーションの花言葉を、帰ってから調べてみると「I’ll never forget you(あなたを決して忘れません)」「a woman’s love(女性の愛)」「a mother’s love(母の愛)」とのこと。きっと日曜日に家族の方が訪れたものと思います。私たちも花を手向け、線香をあげました。
現場は、急峻な山の側面でした。ここにもだいぶ日は経った花が手向けられていました。
毎月5日に登ってきているという信濃毎日新聞の記者にも行き会いました。私が「この1年3か月で何かわかったことはありますか」と聞くと、「降口は、最初は笹がうっそうとしていて、よく滑りましたが、今は道となっています」と話してくれました。
鉢伏山の初夏を彩るレンゲツツジが咲き始めていました。
6月6日信濃毎日新聞