

片倉松本工場の存続運動をするなかで、富岡製糸工場も片倉が最終的に操業し、工場の操業を止めてからも、国が重要指定文化財に指定するまで維持をしてきたことなどを知った。いつか見に行きたいと思っていたが、いわき市からの帰りに、富岡製糸工場へ寄ることができた。


世界遺産となった富岡製糸場ではあるが、群馬県内では座繰り製糸が主流で蒸気器械は定着しなかった。これに対し長野県は積極的にイタリア式・フランス式蒸気器械製糸技術を導入、地場産業と結びついて独自のボイラー製造など創意工夫を加え1880年には全国一の生糸生産県となった。


そして全国的な製糸業の統一で片倉が、その任をおい、二代目片倉兼太郎や今井五介がその任をおった。
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