リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

リュートとの出会い (4)

2005年03月08日 02時39分05秒 | 随想
 その頃初めて手にしたのがアルヒーフレーベルのレコードだ。それは他のレコードより値段が高かったし、そもそもレコード自体当時の高校生が何十枚も買える代物ではなかった。だから買ったのはほんの数枚にすぎなかったが、トマス・ビンクレーによるダウランドのリュートソング集とかラルフ・カークパトリックによるクラヴィコードによる平均律のレコードを買ったのはよく記憶に残っている。当時のアルヒーフは大変啓蒙的で、曲の解説は大変学術的で分量も多く当時の高校生の頭ではやや難解であった。解説の一番最後のあたりに、「アルヒーフ友の会」という会があり、講演会が催されたり会報が発行されている旨が書かれていた。しかも全て無料とある。無料というのは半ば信じがたかったが、入会希望のはがきを出してみたら、会報と講演会の案内が届いた。その後会社の都合で「友の会」が解散するまで10冊近くの会報が送られてきた。それらの中の記事で特に興味を引いたのが、当時新進気鋭の音楽学者だった金沢正剛氏によるイギリス・エリザベス朝のリュート曲に関する連載だった。3回か4回連載されたと記憶するが、その内容は約4年後に手にすることになる自分のリュートが最初に奏でる曲たちを導くことになる。それらの連載の中にはリュートタブラチュアも掲載されており、ギターの3弦を半音下げて弾いてみて、その自然で豊かな響きに驚いたものだ。「友の会」の講演会に関しては、多くは首都圏で催されていたが、ひとつ名古屋市内で催されるものがあり、行ったことがある。確か高校2年生のときだったと思うが、名古屋市中区の日本楽器で催されたその講演会は皆川達夫氏によるもので、もう内容は覚えていないが、血色のいい肌と鋭い眼光の氏から何か圧倒されるようなパワーを感じたのを覚えている。

リュートとの出会い (3)

2005年02月23日 09時28分24秒 | 随想
 高校に入ってからは音楽への関心が両極に広がりはじめたようで、かたや現代音楽、かたや古楽(その当時はまだ「古楽」ということばも概念も存在していなかったが)という、それは当時の高校生としては風変わりな音楽的嗜好だった。武満徹のミュージックコンクレートをFMラジオで初めて聴き驚いたのもそのころだったし、ラジオの八幡製鉄コンサートで黛敏郎の新作「舞楽」や「Bunraku」に心をときめかせたのもそのころだ。しかしなぜか徐々に古い音楽の方に徐々に舵をとり始めていったのは、私の家にピアノがなかったことと関係あるような気もするがはっきりはわからない。

リュートとの出会い (2)

2005年02月22日 04時46分58秒 | 随想
 その当時はいわゆるギターブームの頃で、クラシック・ギターを勉強する環境としては悪くなかったと思う。玉石混淆であったにせよ、地方の小都市の楽器屋でも、楽器はもちろんのこといろんな楽譜やレコードが手に入った。確かギター専門誌「現代ギター」が創刊されたのもその頃だったと思う。ギターのレパートリーにはリュート曲の編曲が結構あり、私はそれらに関心を持つようになった。ただ、いきなりリュートの音楽にのめり込んだのかというと別にそんなわけではなく、なんとなくよさそうなものがある、といった程度の認識だったように思う。それよりギター始めたばかりの私は上手くなりたいという気持ちが強く、カルカッシギター教本の曲を練習したりいろんな楽譜を買い集めてつまみ食いよろしく弾いていたものだ。

リュートとの出会い (1)

2005年02月17日 07時36分45秒 | 随想
 私がリュートと出会ったのは中学生の頃だったからかれこれ40年近く前になる。もっともこの頃の日本の地方都市ではリュートというものを目にすることはまず不可能だったから、「リュートとの出会い」というのは正確な言い方ではない。実際の楽器に出会うのはそれからしばらくあとで、リュートの存在を知ったという程度の意味である。その「出会い」とは、ジュリアン・ブリームというギタリストの演奏するバッハのリュート組曲のLPレコードを聴いたときのことだ。焦げ茶色を基調としたヨーロッパの古い建物がジャケットにデザインされているそのLPから流れてくるその音楽は、威厳があったがそれと同時にとても甘美なものにも感じられた。そのLPの解説で、リュートは弦がたくさんありすぎて、サラバンドのような遅い曲にはいいが、速い曲では音がにごる。だから音のにごらないギターで弾いた方がいい・・・というようなギターで演奏することの正当性を謳ったくだりがあったが、逆にリュートに強い関心を持ったことを覚えている。

リュートという楽器 (6)

2005年02月11日 03時55分15秒 | 随想
 リュートはドイツにおいてヴァイスの弟子や追随者たちによりもう一時代を築いたあと、音楽シーンから去ることになる。時代的には18世紀の後半であるが、その当時はもう他の地域ではリュートの花が開いているところはすでになかった。最後のリュート作品と言われているのが、19世紀はじめ、シャイトラーによるモーツアルトのアリアをテーマにした変奏曲だ。この作品を最後にリュートはひとまず眠りにつくわけだが、約100年後の20世紀のはじめに音楽学者ドルメッチらにより顧みられるようになる。音楽として復興するにはそのさらに50年あとになるものの、わずか100年の浅い眠りを経て、リュートは過去の栄光を再び語る端緒につくことになる。

リュートという楽器 (5)

2005年02月04日 03時50分17秒 | 随想
 ヴァイスは現代に伝えられているものだけでも数十曲の組曲やソナタがあり、一人の作曲家が一つの楽器のために書いた全作品を総演奏時間で見るならば、音楽史上最も長い部類に入るだろう。彼がいなければ彼に触発された当時の若い奏者がさらに次の時代を担うこともなかったであろうし、同時代人のバッハがリュートに関心を持つこともあまりなかっただろう。バッハはBWV995~1000と1006aの7曲のリュートソロ作品を残し、受難曲やカンタータのオブリガートなどでもリュートを活用した。これはその当時のリュート奏者の活動を反映していることがベースではあるが、受難曲などのリュートの使い方を見ると彼は非常に高い関心を持ちそしてリュートの本質を見抜いていたに違いない。例えばヨハネ受難曲の第19曲目、バスのアリオーソ、劇的な音楽の次に続くほんの一瞬ともいえる静寂の世界、これを支えるオブリガートはリュート以外の楽器で表現しえようか。もっともバッハの晩年の稿では、リュートははずされているが、これは何らかの「現世的事情」でそうならざるを得なかった、と考えるのはリュート奏者的な身びいきのなせるわざか。

リュートという楽器 (4)

2005年01月30日 03時36分27秒 | 随想
 17世紀に入ってヨーロッパの音楽シーンがバロック時代を迎えるにつれて、リュート自身も時代に対応し変化し始める。これらの変化はフランスで起こった。17世紀に入る頃からリュートの弦の数が増え始め、特にフランスでは調弦自体もあたらしい調弦方法がいくつか試みられるようになったのだ。これらの変化を、リュートが絶頂期から滅亡の道を歩み始めた端緒ととらえる向きもあるが、むしろ当時の音楽の変化に巧みに適応してよりパワーアップした結果ととらえる方が正しいだろう。リュートが音楽シーンから消え去ったのは変化していく音楽の様式や演奏会のあり方に適応できなかったのが原因なのだから。
 フランスでの様々な試行の結果、ある一つの新しい調弦システムを持つリュートが生まれる。それが今私がメインで演奏しているバロック・リュートと現代では呼ばれる楽器だ。もちろんその当時、旧来のタイプから派生した調弦システムの楽器も平行して使われていたが、ソロ作品に関しては圧倒的にこの新しいタイプ楽器のものが多くなって行く。そしてその隆盛はその当時の鍵盤楽器に大きな影響を与え、ほどなくリュートは主役の座から降りることになる・・・とはよく音楽史なんかには書いてあることだが、もちろんリュートはそのあとのドイツバロック音楽に引き継がれ、二人の偉大な音楽家によってリュート音楽最後の巨大なモニュメントがうち立てられるに至る。その偉大な音楽家とは、シルヴィウス・レオポルド・ヴァイスとヨハン・ゼバスチャン・バッハだ。

リュートという楽器 (3)

2005年01月26日 00時34分55秒 | 随想
リュートは中世にはすでによく使われていたようだが、黄金期を迎えるのは15世紀後半から16世紀である。特に16世紀に入ってからは、当時の最新技術であった印刷術でリュートの楽譜が大量に複製されるようになり、ヨーロッパ各国で大変な人気を呼んだ。そして単に人気だけではなく、現代の水準ではおよびもつかないような名人たちを多数輩出したのがこの時代だ。地域的にはイタリア、フランス、ドイツ、イギリス地域は言うに及ばず、ハンガリー、チェコ、ポーランド、スペイン、ポルトガルといった周辺地域にもおびただしい名人を生んだ。この時代 ―― 一般的にはルネサンス時代と言われているが―― リュートがもっともひろがりを持ち、楽器にとっても最も幸せな時代だっただろう。

リュートという楽器 (2)

2005年01月24日 06時34分28秒 | 随想
 リュートという名はアラビア語のアル・ウード(アルは冠詞、ウードは木という意味)から来ていると言われている。今も中近東にはウードというリュートとほとんど同じ形をした楽器がある。中国のピパや日本の琵琶もリュートと同じ祖先を持つ楽器だが、楽器の形は似ていても発音の基本原理はずいぶん異なる。中国のピパや日本の琵琶は基本的にはソリッドボディであるが、リュートは薄い木で作られた箱タイプのボディである。これらはおそらく共通の祖先から派生して異なった道を歩んできたものであろう。

リュートという楽器 (1)

2005年01月16日 04時14分25秒 | 随想
 さてリュートという楽器について少し触れてみよう。リュートという楽器は残念ながらヨーロッパにおいてもそう認知度が高いとはいえず,空港の職員がケースを見てそれは何かとよく聞かれる。ケースの蓋を開けて,見せてもほとんどの職員はこれはどこの楽器なのかと聞く。それでこれはリュートだと言うと,合点をしたような表情をする。ヨーロッパではluteとかLauteということば自体はまだよく知られているのだ。日本では状況はさらにきびしくなり,ことばでリュートを弾いているといったら,管楽器のフルートと誤解される始末。実際の楽器を見せて説明してもどこの民族楽器であるかとたずねられるのがオチだ。リュートを始めた頃友人が「リュートを弾く人間は100万人にひとりだ」と言っていたが、これは今もそう変わらないのではないか。もちろんコンサートに足を運んでくれる方はこの何十倍もいるしCDを楽しんでいる方はもっといるだろう。とはいえ、数からいけばマイナーのクラシック音楽の中でマイナーな存在である古楽のさらにマイナーな楽器なのがリュートである。草笛のように元々どこの世界どの時代でもマイナーなものならいざ知らず(草笛の演奏家には失礼な言い方で申し訳ないが)、かつての栄光と現代ではこれほどまで知られていない事実とのギャップには忸怩たる思いがある。今の自分の腕でも他のもっと知られた楽器ならもう少しは儲かるものをなどと俗的な愚痴も多少は出ようもの。