リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

2002年春,手紙 (5)

2004年12月25日 10時06分39秒 | 随想
 「演奏旅行に行っていたので、手紙の返事が送れて申し訳ない。私はあなたの希望がかなうようできるかぎり努力したいと思います。・・・」返事を呼んだ私は信じられない思いで何度もそのくせのある文字を繰り返し読んだ。そもそも返事自体が私ごときものに来るとは思っていなかったのだ。そこに何か大きな運命の歯車が回転するのを私は感じた。それまで,私はいろんな人に相談をしたりしたが,誰も私の都合のいいように背中を押してくれる人などいなかった。答えは決まって,「いい夢をお持ちですね。がんばってください。」というもので,もちろん彼らには全く悪気はないが,私の逡巡はさらに深まっていくばかりだった。都合よく背中を押してくれる人などいないのだ。私は彼に,その次の年,2003年秋からバーゼルに行くことを決意しそのことを彼宛の手紙に書いた。
 その年の夏,私は家族とスイスに旅行に行くことになっていた。10年くらい前,子供がまだ小さかった頃に一度スイス旅行をしたことがあったが,その時以来だ。スイス各地の名勝を訪ねながら懐かしいスイス人や日本人の旧友に会う旅行の予定だった。日程が決まってから,ある日スミス氏のホーム・ページを見ていたら,ちょうどそのスイス旅行の最中に彼がスイスのシルス・マリーアのバゼリアというところでコンサートをするとあった。さっそく観光案内書で調べてみたが,その場所がなかなか見つからない。かろうじて詳しい観光案内にシルス・マリーアは見つけることができた。これも何かのタイミングだろうと思い,スイス各地の移動をやめて,シルス・マリーアに何日か滞在してそのコンサートを聴きに行くことにした。もちろん旧友たちに会う予定はそのままなので,旅行スケジュールはかなり過密なものになってしまった。