リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

昔と今(2)

2019年09月25日 23時27分44秒 | 日々のこと
60年くらい前と今の比較のつづきです。

話は変わって今度は災害の話。今年の今のところは当地では台風の被害はありませんが、伊勢湾台風では大きな被害が出ました。それと同じくらいの台風が襲って来たら、多分昔より被害が大きくなるのではないでしょうか。当時もかなり長期間停電していましたが、電気冷蔵庫はないし、テレビはまだ少なく、主な電気製品は電灯とラジオくらいだったでしょうか。もちろんスマホもPCもありません。エアコンもありません。夏はカヤを吊って窓は全開で寝ていました。

当時多くの家は、基礎がセメントで張られていませんでした。土のままでしたので、床下浸水程度だったら家屋に浸水した水が引いたらとりあえず終わり。大半の道路も舗装されていなかったので、道にしみこんだり泥が上に重なったりで、今よりは後始末が楽だったはず。自動車は普及していなかったので、浸水した水に油分が混じることは少なかったでしょう。ただ糞尿はそうとう混じっていたはずで、感染症のリスクはかなりあったと思います。

街の生活はどうでしょうか。現代は車で何でも売っているスーパーにお買い物ができるのでとっても便利、かも知れませんが、昔はウチに魚屋さんが今日のお薦めを伝えに来て、注文すれば持ってきてくれました。支払いも現金は不要。カード払いではもちろんなく、「つけ」です。八百屋さんも同じことをしていました。朝7時頃には、赤須賀(桑名の漁師町)の子供が「し~じみ~ど~ぉですか~」なんて歌いながら自転車に乗ってしじみを売りにきました。とれたて新鮮しじみで朝の味噌汁です。ウチから半径200メートル以内で生活に必要なものをほとんど買うことができました。自転車屋さん、ラジオ屋さんもありましたよ。

今は食料品を買おうと思うと、約800メートルさきのア○タまで行かなくてはなりません。車だとすぐですが、歩くとなると800メートルというのは微妙に遠いです。運動にはいいかも知れませんが。

こうやって比較してみると、エレクトロニクスやITの発達を享受している現代社会はとても便利な反面、電気に一極依存しているのでそれが供給されなくなるとえらいことになります。昔はないならないでそれなりに便利になるように考えられていたし、一極依存しているものがなかったのでその分だけは強いということですね。