例年なら桑名の石取祭り(いしどりまつり)の稽古が各町内で行われていて、市内のあちこちで鐘や太鼓の音が夜まで鳴り響いています。今年は祭りが行われませんので静かなものです。(神社祭礼は執行されるそうです)いつもより梅雨明けが遅くなっていることと合わせ、全く夏の到来という感じが致しません。こういう感覚は桑名で育った人でないと実感はないかとは思いますが、あの鐘や太鼓の壮大な音の中に入ると、いしどりや、よくぞ桑名に生まれけり、なんて思ったりします。
桑名の東海道筋にある町家の町内にはほとんど石取祭りの祭車があります。私が住んでいます町内にもかつては祭りに参加していましたが、人手と財力が足りないためもう60年以上前に参加を取りやめました。ながらく保管していた祭車も、長島温泉に貸与を経て鈴鹿市神戸のとある町内に売却しました。現在は祭車の車庫の土地がそのまま残っているだけで、実際に祭りに参加したことがある人も少なくなってきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/da/bfe9effa32c9f46a412f6ad0d2ab6a0c.jpg)
元ウチの町内祭車。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/9e/bddd605235e1ddc9ac1ee5e4e21579ed.jpg)
レストアされ元あった以上の装飾が施されています。
町内の若手で、といっても団塊の世代以降の人ですが、祭りの記憶がある人はほとんどいません。私はかろうじて鐘をすった記憶が残っていますが、小学校に入る前だったと思いますので、記憶は断片的です。ところが不思議なことに町内の鐘すりパターンはきちんと記憶しています。今でもやれといわれば完全にできます。
石取り祭りの鐘・太鼓は、鐘の定型的なパターン(西洋音楽に例えるなら、通奏低音とかバッソ・オスティナートになります)に合わせて即興的に太鼓を叩きます。そのパターンは各町内独自のものですが、おおまかに分けて五ツ拍子系と七ツ拍子系に分けられます。多くは五ツ拍子ですが、ウチの町内はその少数派の七ツ拍子です。近所だと東鍋屋町が七ツ拍子で、ウチと一か所異なるだけであとは全く同じです。
七ツ拍子は、間に入る休符が多く、一見間延びしているように思われがちですが、そこには「コラサー、コラサ」とか「ソーリャ」といった合いの手が入ります。最近の太鼓の叩き方も即興とは程遠く、「ドン、ドン、ドン(休み)、ドン、ドン、ドン」だけのワンパターンの繰り返しばかりですっかりレベルが下がってしまいました。私が小さいころは、鋲打ちなどを入れてもっと複雑で華麗な叩き方をする人が必ずいました。
江戸時代末期に桑名日記をものした桑名藩士渡部平太夫がいうところの「町衆の派手な祭り」である石取祭り、来年こそは壮大・豪壮かつ華麗なサウンドを夜空に響かせたいものです。
※ちなみに、市のポスターなんかで石取り祭りを、世界一(日本一?)「やかましい」祭り、と表現しているのはまったくいただけません。「やかましい」ということばは否定的な意味合いが強く、なぜこのことばを選んだのか、語彙力および感性不足が残念です。
桑名の東海道筋にある町家の町内にはほとんど石取祭りの祭車があります。私が住んでいます町内にもかつては祭りに参加していましたが、人手と財力が足りないためもう60年以上前に参加を取りやめました。ながらく保管していた祭車も、長島温泉に貸与を経て鈴鹿市神戸のとある町内に売却しました。現在は祭車の車庫の土地がそのまま残っているだけで、実際に祭りに参加したことがある人も少なくなってきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/da/bfe9effa32c9f46a412f6ad0d2ab6a0c.jpg)
元ウチの町内祭車。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/9e/bddd605235e1ddc9ac1ee5e4e21579ed.jpg)
レストアされ元あった以上の装飾が施されています。
町内の若手で、といっても団塊の世代以降の人ですが、祭りの記憶がある人はほとんどいません。私はかろうじて鐘をすった記憶が残っていますが、小学校に入る前だったと思いますので、記憶は断片的です。ところが不思議なことに町内の鐘すりパターンはきちんと記憶しています。今でもやれといわれば完全にできます。
石取り祭りの鐘・太鼓は、鐘の定型的なパターン(西洋音楽に例えるなら、通奏低音とかバッソ・オスティナートになります)に合わせて即興的に太鼓を叩きます。そのパターンは各町内独自のものですが、おおまかに分けて五ツ拍子系と七ツ拍子系に分けられます。多くは五ツ拍子ですが、ウチの町内はその少数派の七ツ拍子です。近所だと東鍋屋町が七ツ拍子で、ウチと一か所異なるだけであとは全く同じです。
七ツ拍子は、間に入る休符が多く、一見間延びしているように思われがちですが、そこには「コラサー、コラサ」とか「ソーリャ」といった合いの手が入ります。最近の太鼓の叩き方も即興とは程遠く、「ドン、ドン、ドン(休み)、ドン、ドン、ドン」だけのワンパターンの繰り返しばかりですっかりレベルが下がってしまいました。私が小さいころは、鋲打ちなどを入れてもっと複雑で華麗な叩き方をする人が必ずいました。
江戸時代末期に桑名日記をものした桑名藩士渡部平太夫がいうところの「町衆の派手な祭り」である石取祭り、来年こそは壮大・豪壮かつ華麗なサウンドを夜空に響かせたいものです。
※ちなみに、市のポスターなんかで石取り祭りを、世界一(日本一?)「やかましい」祭り、と表現しているのはまったくいただけません。「やかましい」ということばは否定的な意味合いが強く、なぜこのことばを選んだのか、語彙力および感性不足が残念です。
いつもなら、おっしゃるように、各町内で石取祭の鉦太鼓の稽古が行われている頃ですが、静かなもので、もともと桑名出身ではない私も、何だかもの足らない気がしています。
ウチの子どもたちは、桑名育ちで、小さい頃近くの町内の祭に入れてもらいましたので、鉦太鼓ともできますが、私はサッパリです。
もともと音楽的才能がないためもありあますが、あれはやはりお腹の中にいる頃からやらないと身につかないのでしょうね。
ところで「日本一やかましい祭」という表現、私も何となく違和感を抱いていましたが、おっしゃるとおりです。
不快に感じるという意味が含まれます。
休祭を機に祭のあり方を考え直さないと、将来につなげていくのも難しいような気もします。
今年の夏は、たしかに静かで、寂しいですね。私の町でも例年なら花火大会、夏祭り、地域の実行委員会開催、打ち合わせなどあるのですが、今年は全部中止です・・・・。
家の近所に低山があるのですが、山道を登っていきますと、古い社があり、灯篭の前に見晴台があります。そこにベンチがあり町を一望できます。最近はよく夕方になって、そのベンチに座って家々の灯りを見ながら、平時の時のことを思い起します。
コロナさえ無かったら、どんなによかったことだろうかと思うと泣けてきます。
生活も商売も一変し、国からお金を貰わなければならないことになるとは夢にも思っていませんでした。
その見晴らし台から花火大会や祭りの様子が、去年まで毎年見れたことが、なんだか夢のようです。
もう一度、神輿の威勢のいい若衆の声、花火、祭りを見ることができるのか・・・・・。
当たり前の平和な時がどんなにかすばらしいことか、健康がどんなに有難いことか、身に沁みます。
本当にコロナが収束してワクチンも開発されて、普通の日常が送れることを祈りたいです。毎日毎日、念じています。