日経新聞の問い合わせたことを本ブログに掲載したらすぐ回答がありました。ひょっとしてこのブログを読んでいる?
以下が回答です。
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筆者の金澤先生が、長いギターの長い歴史を短い文量で説明するなかで、絵の中の楽器の詳細(5コースであること)に文量を割かなかったものと思います。いただきましたご指摘を参考に、今後も分かりやすい記事作成に努めて参ります。
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5コースギターについて文量を割かなかったのは何か意図があったのか、と尋ねているのに回答は「文量を割かなかったと思う」では回答になっていません。きちんと金澤先生に伝えて先生のご回答をこちらに伝えるべきですねぇ。
まぁ結果的にまたレベルの低い話が増えてしまいました。一応以下の再問合せをしておきました。問合せというか意見を書いただけなので回答は多分来ないと思いますが。
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当該連載は絵についての記事の筈です。4コースギターと5コースギタは時代的に100年くらいの隔たりがあり形状もかなり異なります。正倉院の5弦琵琶の写真を掲載して、4弦の楽琵琶の解説をしているようなものです。そこに文量をさかなくてどうしますか。4コースギターの話からはじめてもフェルメールの時代には5コースギターが一般的になり、当該絵画はそれを弾いている女性の絵であるということを書くのはそう文字数は必要ないはず。編集の担当の方が、ご高齢の先生が書き忘れたり勘違いしていることを先生に指摘すべきであったと思います。以前も同コラムで同じ絵で同様の間違いがありそれを私が指摘してもコラム筆者は4コースルネサンス・ギターであることをゆずりませんでした。御紙はもっとも文化的なレベルが高いと評されている中、このようなレベルの低い話が2度に渡って続くのは御紙の評価を下げるだけです。
まさに核心を喝破される論点の核心だと思います。
・・分量を割かなかった、と思う。。。
これは、いかんなと思いますよね。
回答とは、ご本人の見解だと思います。新聞社の私見でしょう。この回答自体も本来は、ご本人に確認していなくて、社の人の私見では、むしろ失礼でしょう。
ご本人に確認した上で、回答を記載してるなら、「思う」とはならないのは当然ですしね。
再度、先生は意見書をお書きになったということですが、その回答が再度来るのかわかりませんが、専門家の指摘をどう受け止めるかは、人次第なんだなと痛感しますね。
似たような事は世の中に山のようにあると思いました。
購入品等で問い合わせしたり、或いは、お店で指摘した事に対して、店員の私見でそう言ってるのか、開発製造メーカーの担当者の見解なのかで悶着することがありますね。客によっては、相当なクレームになることもあるでしょう。
「おまえの意見など聞いてない、メーカーはどうするんだと言ってるんだ!」とかですね。
それはともかく、今回の件でその後、音沙汰無しということであれば、信用を失ってることもわからないのかと言いたいものですよね。
でも、今回はやはり無回答、ではないかなと推察します。というのは、問題点を知ってか知らないのか、問題の本質を横に置き、分量を割かないとかいう理由に糊塗するようでは、もはや期待もできないと思うからです。
さてどうなるやら。。