リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

ヴァイスのソナタ25番、51番、95番(3)

2024年04月10日 22時16分21秒 | 音楽系

ヴァイスのソナタ第51番ト短調はドレスデン写本にある作品です。全曲を演奏すると30分は軽く超える大作です。多分ヴァイスのソナタの中で最も長い曲なのではないかと思います。

楽章はアルマンド、クーラント、ブレ、ポロネーズ、メヌエット、プレストの6つです。ドレスデン写本では、メヌエットがプレストのあとに来ていますが、これは譜めくりをしないでいいように順番を入れ替えただけで、実際はプレストの前に演奏されます。

私が自費出版した「ドレスデン手稿本によるヴァイス・リュート曲集(加筆修正版)1986, 2005」の注には次のように書きました。


メヌエットは各ソナタまたはパルティータにおいて、物理的にはいちばん最後に置かれている場合が多いですが、いくつの場合最終楽章の手前で演奏する旨が書かれてあります。たとえば、ソナタの構成がAllem-Cour-Bour-Sarab-Gigue-Menであるとすると Sarabの終わりに Seque il Minuettoとあり、さらに Gigue の終わりにFinisとあるような場合。このような場合は指示されているとおりの演奏順を書きました。こういった指示がない場合でも、メヌエットはいちばん最後には演奏されないと考えられます。

※Seque il Minuetto はメヌエットに続くという意味


ドレスデン写本のソナタ第51番は「こういった指示がない場合」になります。


ヴァイスのソナタ25番、51番、95番(2)

2024年04月09日 17時11分28秒 | 音楽系

ドメニコ・スカルラッティの作品は、昔はロンゴ番号(L***)でしたが、いつ頃からかカークパトリック番号(K***)が主流になってきています。ヴァイスの作品も最近は全集の番号(SW***)で呼ばれることが多くなってきました。以前は別の番号が使われていて少々混乱していた時期もあります。このエントリーでは全集版の番号を使っています。

この25番のソナタは磯山雅先生の「バロック音楽名曲鑑賞事典」(講談社学術文庫2007)で唯一取り上げられているリュート曲です。言うまでもありませんが、こういう一般書籍でモンテヴェルディ、クープラン、ヴィヴァルディ、ヘンデル、バッハなどと並んで取り上げられるのはヴァイスが当時超一流の音楽家である証でうれしい限りです。

リュートを演奏している人はヴァイスに限らず当時の一級の作品に触れることができるというのが大きな喜びです。このあたりは三流の古典作品ぞろいのクラシック・ギターとは大違い。おっとあまりこのことを言うと石が飛んできますが。

この「鑑賞辞典」ではこのソナタ25番は「リュート組曲第19番」として紹介されています。これは全集番号ではなく別の整理番号でしょうか。このあたりはあまり覚えるつもりはないので、必要になったときに slweiss.comというサイトをアテにしていたのですが、現在は閉鎖されてアクセスできません。

磯山先生の鑑賞辞典では少々古い資料を使っているようでヴァイスの生年が1686年になっていたり作品数が約600曲だというふうに紹介されています。その後の研究で生年は1687年で作品も800曲を超えているようです。ダグラス・オールトン・スミスの論文(1977)が約600曲を挙ていますので、そのあたりを参考にしたのでしょうか。


丸丸なライター

2024年04月08日 13時35分29秒 | 日々のこと

今日はヴァイスの記事の続きを書こうと思っていたのですが、さっき読んだEV関連の記事のあまりの丸丸さ加減にあきれたので少し書いてみたくなりました。

「EV」が日本で普及しない超シンプルな理由 航続距離? 充電インフラ? いやいや違います

https://merkmal-biz.jp/post/55724/2

と題されたEVライターと称する方による記事です。昨年の12月末の日付がはいっていました。こんな記事があったのには気がつきませんでした。

先進?諸国と異なり、日本のEV普及率はわずか3%と嘆いたあと、日本(人)は貧乏になったので値段が高いEVを買えなくなってしまったという結論を導いています。

丸丸じゃないですかねぇ。(笑)丸丸すぎて話になりません。こんなレベルでライターを名乗れるというのはネット時代の負の産物なんでしょうねぇ。さすがに反論記事が山のようにかかれてましたので、ある意味安心しました。お時間に余裕がある方はリンクから読んでみてください。もっとも読む価値はありませんのでホントにお暇な方だけにしてください。

ちなみに私はカネがあったとしても技術的に未発達で環境負荷も高いEVは買いません。

※「丸丸」にはア行ハ行バ行カ行から適宜文字をあてはめてください。


あれ!?気がつかなかった

2024年04月07日 21時31分53秒 | ローカルネタ

今日は桜も満開、お天気も上々で絶好の花見日和。市内できれいな桜を見られるところは何カ所もあるのですが、なぜか皆さん九華公園へ。

桑名の旧「七里の渡し」近くにあるとあるレストランに所要があったので出かけましたが、車だとどうせ渋滞に巻き込まれるだろうと思い、家内の車に乗せてもらいました。予想は大当たりで、八間通りの九華公園に近いあたりでは大渋滞です。

帰りは迎えに来てはもらえませんので、徒歩で帰りました。

寺町の桜です。ここで充分なのにねぇ。

八間通りを西向きに歩いていきますと、ある異変に気づきました。

上の写真の黄色で囲んだ部分です。桑名市西部の丘陵地帯が旧市街の寺町付近から見えるのですが、ここは竹藪でした。以前はもっと広いエリアが見えたのですが、立ちの高いたてものが増えてきて半分くらいしか見えなくなってきていました。そのわずかに見えている部分の半分が禿げ山になっているではありませんか。このあたりを西に向かってあることはあまりないので気づきませんでした。いつの間に?この景色好きだったんですけどねぇ。桑名市西部の丘陵地帯がどんどん開発されてることは知っていましたし、その付近はよく車で通るのですが、八間通りから見るとこんなのになっているということは気づきませんでした。


中学校時代の恩師を訪ねる

2024年04月06日 19時51分10秒 | 日々のこと

8年ぶりになる中学校の同窓会の幹事を仰せつかっていましていろいろ準備をしていますが、今日は隣町四日市にお住まいの恩師のお宅を訪問しました。同窓会は5月の末を予定しています。

私の中学校時代は1クラス46人で7学級ありました。相当すし詰め状態の学級です。恩師のF先生は担任していただいた当時まだ25歳でお若かったこともあり現在もお元気でお過ごしです。7人いらっしゃった担任の先生のうち、ご存命はF先生とあともうひとりI先生のみになりました。I先生はF先生より歳が上で今回の同窓会には健康上の理由でお越しいただけません。F先生がお越しいただける唯一の恩師になってしまいました。

訪問するにあたって手土産を用意しなければなりませんが、ウチの近所の和菓子屋さんがとても評判がいいのでそこでお菓子を買っていくことにしました。F先生はお若いと言ってももう80歳を超えていらっしゃいます。ですからあまり多くは召し上がれないだろうと考えて、日持ちする最中とやわらかいお煎餅を用意しました。

先生のお宅は四日市の一番南の地区にありウチからは少し遠くなるのですが、市街地を通らず海岸近くを通っている国道23号線を一気に南下して、某バイキングレストランの交差点を右折、そのまま直進してに東海道に入ってすぐのところです。道は空いていたので予想よりかなり早く到着してしまいました。

駐車場にはルノーカングーが停まっていたので、まさかと思いましたが、実は先生の娘さんの旦那さんが乗っている車だとのことでした。まぁそうでしょう。(笑)

ご挨拶をして中に通してもらい椅子にかけると、テーブルの上にどら焼きを沢山用意していただいているのが目にとまりました。ということは普段もどら焼きみたいな結構ガッツリな和菓子を召し上がるということのようで、これは手土産の選定を誤ったかもしれません。

前回の同窓会から8年も経っているので同級生の近況などを簡単に伝え、懐かしいお話に花が咲きました。今回の同窓会には私がお迎えをするつもりでいましたが、F先生はその必要はないと固持されました。お元気でなによりでした。1時間半くらいお邪魔をしてお暇させていただきました。


ヴァイスのソナタ25番、51番、95番(1)

2024年04月05日 17時16分37秒 | 音楽系

ヴァイスの25番、51番、95番のソナタはいずれもト短調です。25番はロンドン写本とドレスデン写本の両方に入っています。ただしサラバンドは同じ曲ではありません。51番はドレスデン写本、95番はモスクワ写本に入っています。

ロンドン写本P.243-249の25番は12,13コースが出て来ますので、少なくとも初期の作品ではありません。でもギャラントな感じは全くないので後期の作品でもなさそうです。構成曲もAllemandeやCouranteはありません。1曲目はAllemande風の楽曲ですが、Andanteと題されていてリズムの音価もヴァイスが書く他のAllemandeの半分のものが使われています。

他の構成曲もPassepiedとかLa babilieuse en Menuetみたいにフランス語の曲名なのでなんとなくフランス風の雰囲気が漂っています。ロンドン写本の第3曲目はタイトルがついていませんが、ドレスデン写本にはBoureeと書かれています。まぁ書かれていなくてもわかりますけどね。でも音価がやはり1/2になっていて、よくあるBoureeは1小節に四分音符4つなのがこの曲では八分音符4つです。

全体的にとても均整が取れたソナタで長さもほどほど、技術的に超絶技巧が必要というわけではありません。でも一定の技術水準、音楽水準がないと全く歯がたたないかもしれません。第1曲Andanteの1小節目から指が届かずつまづいてしまいます。


吉村昭『冬の鷹』

2024年04月04日 16時39分47秒 | 日々のこと

吉村昭の作品に『冬の鷹』という小説があります。解体新書の翻訳で知られる前野良沢の生涯を描いた作品です。吉村作品では戦記物をいくつか読んだことがありました。『戦艦陸奥』、『零式艦上戦闘機』、『深海の使者』あたりです。

たまたまアマゾンで見つけた『冬の鷹』が面白そうだったので読んでみました。こちらは戦記物とはことなり歴史物ですが、歴史物であっても吉村の力強い文体は健在でした。

「解体新書=前野良沢、杉田玄白」という丸暗記しかしていませんでしたが、良沢と玄白はまるで対照的な人物として描かれています。絶えず戦略的に行動し世渡りが上手な玄白に対して、研究肌で世間的な成功にはまるで関心がない良沢。解体新書は玄白と良沢の共訳だと思っていましたが、実際の翻訳は良沢が行ったようです。

自分のことと比べるのはちょっとアレなんですが、私も1610年にロンドンで出版された「VARIETIE OF LUTE-lessons」日本語に訳して「とりどりのリュート曲撰」と題して出版しました。私の原本は400年以上前の英語の専門書、良沢・玄白の解体新書は大体同時代の『ターヘル・アナトミア』の翻訳です。ということは私の翻訳の方がはるかに困難!?に見えますが、「VARIETIE OF LUTE-lessons」は文章の部分はそれほど多くないし、翻訳のためのツール(主にOED)が揃っていたし、そもそも私は英語をそれなりにかじっています。

良沢が全く知らない文字で書かれた未知の言語による書物を解読したのは想像を絶する苦労があったのだと思います。そのあたりの道筋や苦労が小説では丹念に描かれています。吉村の筆致は対話文(ダイアログ)は最小限に、簡潔な地の文(ナラティブ)で話をぐいぐい進め読者を引きつけます。対話文ばかりの小説を最近いくつか読んでいたので、誠にすがすがしいテンポ感を感じました。


花見はまだかな?

2024年04月03日 15時44分48秒 | ローカルネタ

今日は雨が沢山降り気温も下がっています。所用があって市役所に行きましたら、庁舎の前の桜はほぼ満開でした。

市役所の南に位置する校風中学校の桜も同じような感じでした。

ところが伝馬公園の桜はまだまだ。七分咲きくらいでしょうか。車で通過して見ただけなのでひょっとしたらもうちょっと咲いていたかも知れません。

お花見の名所、桑名城趾九華公園の桜はどうなんでしょうか。昨日ジムの更衣室でおっさんの会話が聞こえてきたところによりますと、まだまだみたいな話でしたが、昨日リニューアルオープンしました柿安本店に行ったついでにみてみましたら、

こんな感じでした。例年だと柿安本店でお弁当を買ってお花見でしょうが、今日はかなり寒いし雨が強いので無理ですね。出店していた屋台も全てしまっていました。柿安もきょうは花見客をあてこんでいたのでしょうけど、アテが外れた感じでした。

リニューアルした柿安本店の入り口です。なんかどっかの高級旅館みたいです。昨日今日で大量に売り込むつもりがこの雨で客足が伸びず商品があまってしまったようで、早い時間から40%引きの商品が沢山ありました。おかげでかなり安く買い物をすることができました。


解題

2024年04月02日 22時07分50秒 | 日々のこと

最近はネットにおけるエイプリフールのための「作品」が減っている様な感じがします。コロナ禍を経て減ってしまったのでしょうか。以前は「作品」にあふれていたのですが、今年は「マックの内弁当」くらいでした。あ、激辛の「つらターン」もありましたね。

「喫茶タケミツの朝」に書かれている98%は本当のことです。ウソも100の真実にくるんでしまえば、本当に思えてくる、というのはフィクション作りの鉄則です。「作品」の方向としては音楽版の原田マハみたいなちょっとペダンティックな世界を目指してみました。

現実にある喫茶店はもう午前中はジジ・ババの喧噪でうるさいことこのうえありません。皆さん耳が悪いせいか声が大きいです。もう四半世紀近く昔になりますが、教職を退職したとき朝はゆっくりと喫茶店でコーヒーを頂くのが夢でした。退職した年の4月1日、早速近所の喫茶店にいきましたら、なんか想像したいた雰囲気と異なり年寄りが集まって騒々しいのに驚きました。ひょっとしたらそこだけと思い別の所に行きましたがたいしてかわりません。四日市や岐阜県にも足を伸ばしましたが全て同じです。

2,3日は朝の喫茶店通いを続けましたが、皆同じ状況なので行くのをやめました。20何年か前でもそうだったので、老人が増えた今はもっと大喧噪なんでしょうね。ショート・ストーリーの中で書いた「喫茶タケミツ」は私の理想の喫茶店です。

今は自分のウチで武満の「地平線のドーリア」を聴きながらコナコーヒーを味わいつつ、県立K高等学校のふもとにあってもよさそうな喫茶店を夢想しています。何曲か聴いたら曲の終わりに合わせておかわりを出してくれるマスターもそばにいて欲しいですね。どなたか「喫茶タケミツ」を作りませんか?

 


喫茶タケミツの朝

2024年04月01日 00時30分16秒 | ウソ系

三重県K市。駅西の丘陵地。ここは何千年か前に起こった大きな地震による断層が幾重にも重なっている特徴ある地形だ。本来は見えているはずの断層崖だがたくさん家が立ち見えにくくなっているところも多いのでそのことに気づいている人は少ない。2つ目の断層の上に県立K高等学校があるが、この学校の旧制中学校時代にある生徒がこの奇妙な階段状の地形に興味をもち、長じて著名な地理学者になったという話もある。

K高等学校から少し下ったところに小ぢんまりとした喫茶店がある。坂道を歩いていてもそれとは気づかないような喫茶店だ。私は大抵の日曜の朝はここで時間をすごす。この喫茶店は稀有なことに、BGMで流れる音楽がすべて武満徹の作品だ。武満作品が流れている店内のせいか、はたまた坂道がきついせいか、ここは老人たちの喧騒とは無縁だ。静かな佇まいの店内で武満作品を聴きながら時間をすごすのは至福のひとときだ。

 店のドアを開けると今日は「地平線のドーリア」が聞こえてきた。武満が1966年に作曲した曲で彼の作品系譜では初期の時代に分類される時代だ。ここの店主とはもう長い付き合いだが特にことばを交わすことはほとんどない。少し目が合いカウンターの椅子に腰かけてしばらくすると店主がコーヒーを入れ始めた。豆はハワイコナだ。曲がダカーポにさしかかるころにコーヒーが運ばれてきた。弦のフラジオレット音を聴きながらふくよかな香りとほどよい酸味のハワイコナを味わう。

 私と武満の出会いは中学生のころだ。といっても直接会ったわけではなくFMラジオの番組で初めてそのサウンドに触れ驚愕したものだ。以来武満作品をずっと聞き続けてきている。実は武満にはリング、サクリファイスというリュートを使う室内楽曲がある。いずれも60年代はじめの作品だ。編成が少し特殊なこともあり私自身はまだ演奏したことはない。彼のソロ作品がないのはとても残念でぜひ短い作品でいいので書いてほしいのだが、何の伝手もないし具体的にどう「発注」していいのかわからないまま過ごしてきた。

私が武満に一番「近づいた」のは武満が亡くなる10か月程前、名古屋市のSホールで開催されたコンサートの時だ。この日のプログラムはオール武満作品で、指揮は岩城宏之、オケはオーケストラ・アンサンブル金沢だ。この日はコンサート前にプレトークショーがあるというので開演の1時間くらい前に会場に行った。

 2階のホワイエを通り自分の席に向かおうとすると、10mくらい先に武満が関係者らしい人と立ち話をしていた。しばらく眺めていたらその関係者との話が終わったのか武満はひとりになった。思い切って私は彼に近付き声をかけてみた。

「こんにちは」

「あ、こんにちは」

「あの、リュートの小品を1曲お願いしたいのですが」

いきなりの作曲の依頼であったが、彼はいやな顔ひとつせず、

「ほう、それは珍しい楽器ですね。実は若いころリュートを含む室内楽を作曲したことがあるんですよ」

「はい、存じ上げています。でもソロ作品がないのでぜひお願いしたいのですが」

「ところであなたはリュートを演奏なさるのですか」

・・・・・・・・・・

武満は期限を切ることはできないが小品を作ることを約束してくれた。

 この日のプレトークで武満は上機嫌であった。岩城が、武満にメロディのある曲を作ることが出来るのかと尋ねると、(もちろん岩城は武満がそういう作曲ができるということを知ってはいるのだろうけど)

「私はどんな曲でも作れますよ。バッハ顔負けのフーガとかなんならリュートのための曲だって作れますよ」

「へぇー、武満さんがリュート曲を!(聴衆に向かって)皆さん、リュートという楽器をご存じですか」

・・・・・・・・・・・・・

 この日のコンサートの翌年2月武満は65歳の生涯を閉じた。彼が約束をしたリュートソロ曲はスケッチをしてはいたのかも知れないが、今のところその痕跡は見つかっていない。

 コーヒーを飲み終えたころ、音楽はすでに変って「フォリオス」の終盤にさしかかり、やがてバッハの引用が始まった。それに合わせてか店主はそっとおかわりを差し出した。