(料亭、壺中庵のHPより引用。)
「おもてなし」によって気心が知れる。対人関係が円滑になる。法律に基づいた付き合いでは、こうはいかない。だから、「おもてなし」は元来よいことだったのだ。
それを「接待」と言い換えると、なにか見返りを求めた賄賂のような意味が持たせられるようになった。むかし大蔵官僚が金融機関に接待を受けた。彼らはMOF担と呼ばれ、出世コースに乗った人たちだった。堂々と「接待」を受けるのはけしからんと、政府は彼らを退治して世論の喝采をえた。
MOF担をなくし大蔵省を財務省と名称替えして、バブルの発生と崩壊の責任を彼らに取らせるような格好にして世論を静まらせた。ついでに中央省庁以外の(民間を含めた)あらゆる「接待」がいけないような雰囲気になった。
世論はタライの水と一緒に赤ん坊まで流してしまったのだ。いま、「おもてなし」が再認識されている。遅かったがよいことである。「おもてなし」と「接待」はもともと同じ意味で、あれほど激しく批判される必要はなかったのではないか?