(本の話WEBより引用。右が虚子。)
悲嘆の俳句に共感して暗い気持ちになるよりも、さわやかな俳句に接して心を洗われたいと思うようになった。
むかしはホトトギス系の俳句が、蝶よ花よと詠っているだけなのが物足りなかったのだが、悲嘆や絶望は短歌や別の詩形に任せておけばよいのだ。
近代俳句の祖(註)・高浜虚子が花鳥諷詠という俳句哲学を唱え、つらいこと苦しいことをいっさい詠まなかった気持ちがようやく分かるようになった。(第2次大戦中も虚子は戦争の俳句をまったく詠まなかった。)
俳句は、苦しくても苦しいとは言わない痩せ我慢の詩形と言えるだろう。
註:近代俳句の祖と言えば子規が思い出されるかも知れない。しかし、子規は「写生」を重んじたけれども、子規自身は駄句の山を築いただけで、虚子の出現がなければ現在の俳句はなかったと思う。