院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

看護職用語の伝統

2014-04-15 05:39:21 | 医療

久留米大学医学部看学科HPより引用。)

 看護師が患者の体を拭くことを「清拭」という。これを「せいしき」と読ませる。「拭」に「しき」という読み方がないではないが普通は「しょく」だし、少なくとも広辞苑には「せいしき」も「せいしょく」も載っていない。看護職独特の言い方である。

 呼吸が苦しくてぜいぜいすることを「喘鳴」という。私はこれを「ぜんめい」と習った。だが、ほとんどの看護師は「ぜいめい」という。「ぜいぜい」するから「ぜいめい」と言うようになったのかも知れないが、誤りである。

 「流涎」はよだれが流れることである。「りゅうぜん」と読む。看護師も医者もこれを「りゅうえん」と読むことが多い。旁(つくり)が「延」だからだろうが、「りゅうえん」という読みは間違いである。

 以上のことは、私が医者になった約40年前もそうだったし、現在もそうである。

第3回電王戦、プロ側一勝しかできず

2014-04-14 04:56:04 | 囲碁将棋

週刊アスキープラスより引用。)

 将棋の「電王戦」でプロ棋士が1勝4敗で負けた。私は全敗を予想していたのだが、プロ棋士側が1勝できたのは意外だった。

 谷川理事長は、将棋ソフトの打ち方をもっと研究すれば、「電王戦」は興行として成立しうると考えているようだが甘いと思う。来年にはプロ棋士側はまったく歯が立たなくなっているだろう。羽生さんなどのタイトルホルダーがコンピュータに負けて、プロが負けてばかりになって、「電王戦」が興行にならなくなるだろう。

NYタイムズの論調

2014-04-13 05:28:26 | マスコミ

(Wikipedia "The New York Times" より引用。)

 NYタイムズは、日本の大新聞の10分の1しか発行部数がないが、アメリカではワシントンポストと並ぶクオリティーペーパーだそうだ。日本の新聞がNYタイムズを好意的に引用することがある。

 ところがアメリカに住んでいた友人によると、NYタイムズは基本的に「反日」なのだという。同紙は、戦前、日本軍がアジアで狼藉の限りをつくしたという立場に立っているらしい。

 だから、アジアの国の日本に対する歴史問題などの抗議も「事実」としてそのまま受け容れられる。友人は、抗議国がしいてロビー活動なぞしなくても、NYタイムズは抗議国が言うとおりに報道するだろうと言っていた。

 こうした一方的な情報にさらされているアメリカの知識人にとって、日本軍が暴虐だったのはほとんど「常識」であり、日本人が「ほんとうは、そういう面ばかりではなかった」と主張してもぜんぜん通じないという。

 日本軍のアジア侵略のために近隣諸国がひどい目にあった。だからこそ、アメリカは日本に原爆を落としてアジアの人民を救ったのだ、という単純なストーリーがアメリカ人の頭の中にできているのだろうと、友人は推測していた。だから、原爆投下について日本に謝罪するという発想が出てこないのだとも。

 マスコミはどこの国でも愚劣のようだ。アメリカのマスコミを日本のマスコミが引用する。似た者同士を引用していることになる。


続・小保方さんの記者会見に寄せてーー愚劣なマスコミ

2014-04-12 05:00:37 | マスコミ
 マスコミが愚劣であることは、このブログで8年前から再三指摘してきたことだが、小保方さんの記者会見後の報道でも、それを再認識された読者も多いことだろう。

 曰く「独立な第三者がSTAP細胞の作成に成功していると言いながら、個人名を明かさないのはおかしい」と。あんな何百万人もが見ている会見で個人名を挙げたら、それこそ大問題になるだろう。平気で「おかしい」と言うほうがよほどおかしい。

 マツコ・デラックスに「大メディアがネット上の匿名の中傷と同じことを始めたわ」と本質を突かれた。ネット上には誹謗中傷も多いけれども、大メディアよりずっと気が利いた書き込みもある。

(1)STAP細胞の特許料は、どこかの国の国家予算ほど莫大になる。やすやすと技術を公開してはいけない。
(2)石油欲しさに武力侵略を行った国がある。戦争をしてでも、あの技術が欲しい国がある。小保方さんの拉致や殺害に気をつけろ。
(3)小保方さんが不美人だったら、あんなにえんえんとライブ放送されなかっただろう。
(4)科学論争から法廷闘争へ必ず移行する。etc.

「おもてなし」を考える(5)

2014-04-11 00:02:08 | 文化

アリスアンティークス・ブログより引用。)

 うちの妻はむかし誰かからもらった高級ナイフフォークセットを死蔵している。大事なお客様が来た時に使用すると言いながら、一度も使ったことがない。

 だいたい当家に「大事なお客様」なんて来ない。これまでで一番大事なお客様は、娘の配偶者のご両親だった。そのときにはナイフフォークセットの要らない料理だった。

 もうナイフフォークセットを使う機会はないだろう。妻の母親もそのような食器セットを死蔵している。90歳だから、ついに使う機会は来ないだろう。

小保方さんの記者会見に寄せてーー素人が学術論文について論じる愚

2014-04-10 08:39:24 | 学術
 STAP細胞騒動のすべての原因は、当該論文がネイチャー誌に載っただけのことを理研広報部が大々的に宣伝したことにある、とは 2014-03-12 で述べた。騒動を引き起こしたのは小保方さんでも共同研究者でもない。理研の広報部である。(あるいは理研の広報部に宣伝の指示を出した人物である。)

 これもすでに述べたことだが、ネイチャー誌が一流誌であるとは言っても、載っただけなのに嬉々として発表してはいけなかったのだ。素人はSTAP細胞が完成したと受け取る。掲載論文の成否はのちに行われる追試でしか語れず、8割の学術論文が再現性なしとして消えていく。STAP細胞の論文もそうした経過をたどるべきだった。山中教授のiPS細胞も、そうした手続きを経て生き残り、ノーベル賞に至った。iPS細胞の論文が 2007 年にジャーナルに掲載されたとき、われわれ国民は何も知らなかったではないか。

 識者は次のようなことを言っている。
(1)あの論文は無価値である。理研が追試をするらしいが徒労である。(首都大学東京教授)。
(2)200回以上STAP細胞の作製に成功しているなら、200回以上の実験ノート記録が残っていなくてはならない。(九大教授)。

 これらの教授たちが言っていることは正しいのだろう。だが、どうせ言うなら、学術論文が正しいか否かは再現性によってでしか言えないと念を押してほしかった。なぜなら、インタビューをした放送局の記者(これは素人である)は、STAP細胞が存在するか否かばかりを性急に知りたがっていたからである。

 追試に待つしかないと言ったのは武田邦彦教授だった。彼は数年すれば再現性のない論文は消えていくとも言った。学者としてもっとも正しい発言である。

 研究は税金で行われるのでしょう?と必ず成果が上がらなければならないと思っている記者がいたが、彼らは素人だから仕方がないだろう。だが、その質問に対応した東大教授は記者の意見を否定しなかった。東大教授がそれでは困る。素人の記者たちを「研究とは必ず成果が上がるものではないのだよ」と諭してほしかった。

 成果が上がったとしても、学術研究には何の役に立つのか分からないものが多いのだ。最近、南極に築かれた高価な装置で重力波が測定され、宇宙開闢のもっと前が分かりそうだというが、そんなもの何の役に立つかと問われれば立たないのである。学術研究とはそのようなもので、素人がよってたかって野次馬的に論評するものではないのだ。

註:ここで言う「素人」とは「玄人と素人」の記事(2014-03-05)に書いたような意味である。

「おもてなし」を考える(4)

2014-04-10 00:14:00 | 文化

光林坊HPより引用。)

 岡山市では誰かに酒食のもてなしをするときには、必ず自宅で行うという。自宅でのもてなしは最高ランクである。家族一同が客を迎えることになるからだ。

 そのため、岡山市では夜の社交場がないらしい。もてなしを自宅でやるから社交場がないのか、社交場がないから自宅でやらざるをえないのか、どちらが原因で結果なのかは分からない。

 いずれにせよ最高ランクの客は、自宅でもてなされるべきである。部下を自宅に呼ぶことは、何十回社交場でもてなすよりも、部下の信頼を勝ち取ることができる。

「おもてなし」を考える(3)

2014-04-09 06:12:24 | 文化

(料亭、壺中庵のHPより引用。)

 「おもてなし」によって気心が知れる。対人関係が円滑になる。法律に基づいた付き合いでは、こうはいかない。だから、「おもてなし」は元来よいことだったのだ。

 それを「接待」と言い換えると、なにか見返りを求めた賄賂のような意味が持たせられるようになった。むかし大蔵官僚が金融機関に接待を受けた。彼らはMOF担と呼ばれ、出世コースに乗った人たちだった。堂々と「接待」を受けるのはけしからんと、政府は彼らを退治して世論の喝采をえた。

 MOF担をなくし大蔵省を財務省と名称替えして、バブルの発生と崩壊の責任を彼らに取らせるような格好にして世論を静まらせた。ついでに中央省庁以外の(民間を含めた)あらゆる「接待」がいけないような雰囲気になった。

 世論はタライの水と一緒に赤ん坊まで流してしまったのだ。いま、「おもてなし」が再認識されている。遅かったがよいことである。「おもてなし」と「接待」はもともと同じ意味で、あれほど激しく批判される必要はなかったのではないか?

「おもてなし」を考える(2)

2014-04-08 07:00:47 | 文化
(NHK出版刊。)

 俳句で「お接待」というと、巡礼の人に遍路道の民家が無償で茶をふるまうことで、秋の季語である。四国八十八か所の遍路道では今でも行われている。

 縁もゆかりもないお遍路さんを「お接待」することは、見返りを求めない仏教の布施の一種である。あえて見返りがあるとすれば「極楽成仏」であろう。

 ここに日本の「おもてなし」文化の原型を見ることができ、茶の湯の「もてなし」もここから派生したものと思われる。

 「接待」とは元来、仏事だったのである。

「おもてなし」を考える(1)

2014-04-07 07:10:08 | 文化

楽天インフォシークより引用。)

 滝川クリステルさんは、流行語になった「お・も・て・な・し」の動作を行く先々でやらされるという。

 当時、「手を合わせてお辞儀をする文化は日本にはない」と批判されたが、結果オーライで、東京オリンピックを勝ち取ったので、批判は立ち消えになった。

 一連のプレゼンの出来がよかったと評判になったが、プレゼンだけで東京オリンピックを招致できたわけではない。背景に東京の経済力や組織力があったからだ。プレゼンだけの手柄ではないことは 2013-09-14 の記事で指摘した。

 プレゼンが上手かったからという理由だけで企画を採用する会社は、すぐに潰れるはずである。

(わが国の「おもてなし文化」が仏教から出たことは意外に知られていない。次回はそれについて。)

動物園は面白いか?

2014-04-06 05:42:15 | レジャー

上野動物園HPより引用。)

 みなさんは動物園を面白いと思ったことがあるだろうか?私はない。

 幼少時、東京に住んでいたので親に上野の動物園に連れて行ってもらった。だが、面白くない。悪臭ふんぷんたるキツネの檻の前で食べた弁当の紅ショウガが悲しかった。

 熊は狭い檻の中でノイローゼのように往復運動を繰り返し、得体のしれない小動物は小屋からまったく出てこない。

 当時、上野動物園にはジュースやアイスクリームを売っていなかったのではないか?飲み物や食べ物が充実していれば、あれほどさびしい思いをしなくて済んだのだと思う。

 のちに「自然のまま」をうたった多摩動物公園ができ、行ったが広すぎて足ばかりが疲れて期待外れだった。いまのようなサファリバスはなく、すべて歩かされたからだ。

 「子どもにとって動物園は面白いはず」というのは、大人の思い込みに過ぎないのではないか?

(大人になってから評判の旭山動物園に行ってみたが、ちっとも面白くなかったことは、2006-08-17 に書いた。そのときには、じきにすたれると書いたが、まだすたれない。)

試験では測れない「実力」

2014-04-05 05:45:01 | 経済

(入社試験。りゅうせきブログより引用。)

 「サンヨネ」という地元の食品スーパーがある。この店は他店よりも安いということはないのだが、不味いものを売らないので地元ではファンが多いと昨日述べた。

 このたびの消費税値上げで3月末の駆け込み需要が多かった。4月1日の増税当日、テレビがあるスーパーを取材して、店員に「昨日まで大忙しだったのに、今日は閑古鳥ですわ」と言わしめていた。そんなこと当たり前ではないか!

 「サンヨネ」はどうしたかと言うと、4月1日と2日は消費税を値上げしなかった。そして3日目を休日として、おもむろに店内の消費税増税への対応を行った。そのため、混乱も閑古鳥もなかった。

 こういうのを経営者の「実力」というのだ。テレビで取材されたスーパーの経営者は凡庸である。

 企業が新入社員を採用するに当たりインターンシップを行なうのは、こういう「実力」をもった学生を試験だけでは識別できないからだと思われる。

レジ袋の取り扱いに見る「経営姿勢」

2014-04-04 06:04:42 | 経済

(ウィキペディア、「スーパーマーケット」より引用。)

 以前に、スーパーのレジ袋排斥運動がいかにナンセンスであるかを述べた(2013-04-12)。レジ袋排斥は環境のためには何の役にも立たないうえに、レジ袋代の5円なり10円なりは、そのスーパーの実入りになるだけで、お上に納められるわけでもない。

 コンビニはレジ袋代を徴収しない。コンビニ間の競争が激しいからそうなるのだろう。ただし、コンビニはなるべく小さいレジ袋をよこそうとする。レジ袋の大と小とで、どれだけ価格が違うのだろうか?違っても1銭2銭の単位だろう。

 地元のあるスーパーはレジ袋に5円とる。5円はそのスーパーの収入になると思うと行く気にならない。

 地元に「サンヨネ」という食品スーパーがある。他店より安いわけではないのだが、不味い商品をけっして売らないので人気がある。この店は、レジ袋に1円だけとる。だが、十分に大きなレジ袋をくれる。申し訳程度に1円をとるのは、お上の掛け声に逆らってはいませんよというアリバイのようなものである。

 この店の経営者は「何者か」である。明日もこの店の話をしよう。

例え話に反論する人

2014-04-03 05:58:32 | 日本語

スドウのランドセルHPより引用。)

 子どもにとって大多数の子どもと違うことをやらされるのは、つらいものだという話を伝えたいときに、例え話として「男の子は黒、女の子は赤のランドセルが当たり前の小学校に、男の子に赤いランドセルを背負わせて学校に行かせたら、その男の子はどう感じると思いますか?」という話をしたとする。

 そうすると「うちの子は男の子ですけど、茶色いランドセルを喜んで背負って行っています」というような回答をする親が必ずいる。

 ひねくれた親なのか、正直すぎる親なのか分からない。少なくとも私の話の筋道を理解していないことは確かで、それ以上話す意欲がなくなるのだ。

続々・小保方さんの学位剥奪の噂に寄せて

2014-04-02 06:01:18 | 教育
 この欄の 2014-03-13 の記事で「小保方さんの学位を剥奪する前に、大学院の学位授与権を剥奪すべきだ」と述べた。だが、そのころ同じことを言っている人がいたことが分かった。

 元早稲田大学教員の女性は、従来からあった早稲田大学院教育のぬるま湯的ずさん体質を Facebook で批判している。女性は何度も改善を申し入れたが大学執行部には相手にされなかったという。

 別に小保方さんの学位論文の第3章がPDFファイルでネット上に公開された。確かに本文と文献欄が乖離している。

 学位授与問題をこのブログで取り上げるのは終わりにしたい。このブログは多くの人が言っていることは言わない方針だからだ。

 STAP細胞にはいい夢を見させてもらった。もしSTAP細胞が実在するとしたら、生体内(in vivo )にあまねく存在するはずである。そちらを捜した方が早道だろう。