いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

罪と罰。  offense and punishment

2009-11-11 19:58:37 | 日記
 人間は、間違いを犯すこともある。間違いにも、取り返しのつく間違いの「罪
(offense,crime)」と、取り返しのつかない間違いの「罰(punishment,penalty)」
がある。

 「罪」は全身全霊をかたむけて、一生、原状回復へ「償う」ことができるが、取
り返しのつかない間違いの「罰」だけは、「償い」ようも、「責任」の取りようが
ない。

 千葉県市川市での事件で指名手配され、顔の整形をくり返して、その間、1年間
以上(神戸、大阪)におよぶ土木作業経験もある社会生活の中で逃亡を続けて3年
余り、犯行容疑者自らが「落し穴」にはまるように挑発的に動き回る結果、自らを
追い詰めていって、どうみてもその場にそぐわないスタイルで衆目の前に現れざる
を得ない状況(あぶり出されるような、世間からの逃亡)をつくり、通報、逮捕と
なった。

 犯行容疑者(30才)の両親が、成人を超えた子息の容疑のかかった刑事責任と
は別に、社会を騒がせた責任をとるようにメディアの前に姿を現し、会見した。
 不肖の息子も、ここに至ると、親に顔向けもできない「罰」の極みだ。

 最近では、見られない犯行容疑者の親としての潔(いさぎよ)い態度だ。
 成人になった親族の犯罪に限らずに、未成年の場合でも、親は、社会を騒がせた
、あるいは親権者としての責任に配慮を見せることもなく、いつしか社会の関心か
ら忘れ去られていく(もちろん、親として相応の社会的に受ける責任はすでに背負
ってはいる)のが通例(社会的保護)のようになっていた。

 メディアに対処した親からは、「すべてを話して、罪を償ってほしい。」(報道)との
言葉が出た。
 しかし、3年余りも逃亡をくり返したという、報道されたような犯行容疑とすれ
ば、取り返しのつかない、責任の取りようのない、償いようのない子息の「罰」
だ。

 報道によると、犯行容疑者の本人は「弁解することは何もない。何も話したくな
い。」と言っているという。
 何のための整形までしての執拗な世間をあざむく3年余りの逃亡だったのか。

 1年近く(大阪)の土木作業では、まじめな勤務態度だったという報道もあり、
過去の犯罪者は「正気(conscience)」に戻った(多分)時には、ほとんどが後悔
(repent)の言葉を述べる。

 取り返しのつかない「罰」で、「正気(conscience)」に(多分)戻った本人(秋葉
原無差別通り魔犯行)から、「これは万死に値すること」と、今更言われても、本
人とかかわりのない被害者の原状回復は、ない。

 人間を、一瞬、追いつめる「魔もの」は、どこに棲(す)む。


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