いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

富士宮。  live and talk

2009-11-24 19:49:15 | 日記
 富士宮に来ています。透きとおる快晴の「青」空、冠「雪」の富士山、「朱」塗
りの大鳥居の浅間(せんげん)大社、まるであでやかな紙細工のような街並み風景
です。

 浅間大社のそばの富士宮市民文化会館で財津和夫さんのライヴ&トークコンサー
トが開催されます。単発ものも含めて、昨年5月から始まった同コンサートの36
回目(財津談)のコンサート、18か月におよぶ最終日となります。

 18時すぎに、コンサートに先立つビデオ映像では、財津さんのステージ・クロ
ーズ(clothes)について、オールキャストで、それぞれが、これでもない、あれ
でもないと持ち寄るシーンのあと、結局、財津さん、グレーの無地にボカしの太い
黒の縦のストライプのシャツスタイルで登場です。

 センターマイク前に座ってギターを手に取る前。 勤労感謝の日です。休日を増
やして経済効果をあげようとしているんでしょうか、つい、デフレ傾向になって。
 富士山、ものすごくきれいで、みとれます。富士山見ると、いいんだよ、いいん
だよ、そのままでいいんだよ、と言ってくれているようで、毎日見れる富士宮のみ
なさんがうらやましい。

 今のわたしだ、ということでひとりアコギ1本の「この世の端でも」でオープニ
ングです。この曲をベースにして、今日のステージを眺めてほしいと。
 2曲目に、ひとりキーボードで「君の季節」のあと、バックのキーボード(清水)
とギター(南)の二人を呼び出す。4曲目からのセットアップを予定していた二人
は、なかなかステージに登場しない。〔財津さん、勝手に(?)に当初の2曲目カ
ットか。)

 「昼のジェラシー」のあと、チューリップに姫野というのがいますが、お嬢さん
が21日に結婚しました。わたしも、結婚式と披露宴に出席してきました。
 お嬢さんが生まれた時、丁度チューリップとしてレコーディングをしていまして
、姫野が曲をつくってきて、わたしがそれに詞を書くことになって、「この小さな掌」
という曲をお嬢さんのためにつくったわけです。

 23日になって、姫野からメールが入ってきて、来てくれてありがとう、という
ものでした。披露宴で、泣かせるために、お父さんへの手紙というのがあります。
くやしいけど、泣いてしまいました、とあった。
 姫野、18歳から知ってます。福岡でも、姫野はいいところの生まれだというん
です。ぼくはきたないところの生まれだと。

 富士宮市民文化会館はブラウンのレンガの壁づくりで、音響効果がもうひとつ
です。今日は、マイクコンディションがよくなくて、ハレーション(halation)を起こし
て(すごい破裂音)、「Wake up」のイントロで財津さんの声がマイクに入らず、ま
た、コンサート全般をとおして、声と楽器のアンサンブル(ensemble)ももうひとつ
で、たとえばメガネの調整で左右それぞれにぴったりピントをあわせて、結局、頭
が痛くなるシビアな音の現象ですか。

 財津さんも、いいコンディションとはいえない中、「誰が許すの君のわがままを」
からきっちり微調整してきて、「1962で抱きしめたい」では、財津メロディの
構成(composition)のよさ、特徴のある韻(イン)を踏むリズムを刻み、歌のう
まさ、発声のよさを十分に伝えた。

 「サボテンの花」は、力強く、丁寧、見事に歌いきりました。こんな「サボテン
の花」を聞くのは久しぶりです。
 ステージ前の中央席に16歳の女性も聞いていて、財津さん、年令を聞いて、
あと4年くらいは聞いてもらえるかな、と。

 財津さんは、12月のクリスマスコンサートのあと、来年1月末からあたらしい
アルバム曲のツアーを開始します。



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