(1)柔道女子日本代表選手を含む15人からの同代表監督の暴力行為、ハラスメント告発による監督辞任劇は、告発選手代理弁護士が全柔連役員、強化体制人事、組織体制の方針、有り様に対する不満、責任を問う選手達の声明文を公表して「第2幕」に入った。
いじめと体罰が社会問題化している最中での柔道女子日本代表選手達からの同代表監督の暴力行為ほかの告発という、この問題もここまできたかの象徴的な報道という捉えられ方をしていたが、選手側が問題にしていたのはその他にも全柔連の強化体制や組織体制、人事そのものへの不満、問題提起であったことがわかった。
選手側は全柔連が一監督の暴力行為、ハラスメントの責任問題に転嫁して、選手側の告発の本意、真意をすりかえていると声明文で主張している。
(2)直接、選手告発を受けた上部組織のJOC(日本オリンピック委員会)は文科相に経緯を報告した際に、同大臣から他競技を含めて広く調査を命じられており、あえて今回代理弁護士を通じての全柔連組織体制、人事への不満、問題提起を行ったことは、最早、全柔連と強化選手の対立「内紛(internal trouble)」ということだ。
象徴的シーンがある。昨年、ロンドンオリンピック柔道男子が金メダルゼロに終わって同男子代表監督の責任を問う声が強まる中の帰国記者会見で、全柔連役員の幹部が居並ぶ中での異様な光景だ。
(3)会見場の立派なソファーに腰かけた数名の幹部役員ほかは、皆腰を深く背もたれに寄りかかり両手を大きくひじ掛けにひろげて大胆に足を開き座っているシーンが映像に映しだされていた。
とても結果敗戦の弁を語る雰囲気(別に委縮する必要もないことだが)ではなくて気丈猛々しく開き直った感じで、周囲の気まずい雰囲気とのギャップがあまりにも異様な象徴的なシーンだったのを記憶している。
体躯は一般人に比較して立派で、所作かしこまる術(すべ)もないとはいえ、会見の趣旨を理解すればもっと理性、自律を示すこともできたのではないのか。
全柔連の「体質」そのものがよく現われていた印象、感想を持ったものだ。男子代表監督はその後紆余曲折があって結局、選手に信望の厚い一全盛時代を築いた若い元オリンピック金メダリストに交代した。
(4)スポーツ競技には、それぞれ歴史、伝統、文化、競技特性(special quality)があって一律基準化もむずかしいところもあるし、それぞれに違った個性、特徴があってこその魅力でもある。
柔道には日本の伝統文化、武道としての「風格(personality)」も似合うが、そこに思い入れのあるのは強きをくじき弱きを助ける精神性、「人格(character)」イメージだ。
すっかり国際競技として人気、定着した柔道スポーツだが、日本柔道からは国際化に翻弄(ほんろう)されて「我」を見失った失望感しかない。
よりスポーツ化し競技の「質」が変わったとはいえ、かってのオリンピックチャンピオンのヘーシンク(オランダ)が見せていた風格(歴史的勝利の瞬間、畳になだれ込もうとする自国メンバーを手で制した)こそが、あこがれの日本柔道の具現性、精神性の強さではなかったのか。
(5)今回の監督暴力問題が全柔連組織と選手の「内紛」に発展(expansion for an internal trouble)ということになれば、選手達のやり方にも方法、問題はある。
いじめと体罰が社会問題化している最中での柔道女子日本代表選手達からの同代表監督の暴力行為ほかの告発という、この問題もここまできたかの象徴的な報道という捉えられ方をしていたが、選手側が問題にしていたのはその他にも全柔連の強化体制や組織体制、人事そのものへの不満、問題提起であったことがわかった。
選手側は全柔連が一監督の暴力行為、ハラスメントの責任問題に転嫁して、選手側の告発の本意、真意をすりかえていると声明文で主張している。
(2)直接、選手告発を受けた上部組織のJOC(日本オリンピック委員会)は文科相に経緯を報告した際に、同大臣から他競技を含めて広く調査を命じられており、あえて今回代理弁護士を通じての全柔連組織体制、人事への不満、問題提起を行ったことは、最早、全柔連と強化選手の対立「内紛(internal trouble)」ということだ。
象徴的シーンがある。昨年、ロンドンオリンピック柔道男子が金メダルゼロに終わって同男子代表監督の責任を問う声が強まる中の帰国記者会見で、全柔連役員の幹部が居並ぶ中での異様な光景だ。
(3)会見場の立派なソファーに腰かけた数名の幹部役員ほかは、皆腰を深く背もたれに寄りかかり両手を大きくひじ掛けにひろげて大胆に足を開き座っているシーンが映像に映しだされていた。
とても結果敗戦の弁を語る雰囲気(別に委縮する必要もないことだが)ではなくて気丈猛々しく開き直った感じで、周囲の気まずい雰囲気とのギャップがあまりにも異様な象徴的なシーンだったのを記憶している。
体躯は一般人に比較して立派で、所作かしこまる術(すべ)もないとはいえ、会見の趣旨を理解すればもっと理性、自律を示すこともできたのではないのか。
全柔連の「体質」そのものがよく現われていた印象、感想を持ったものだ。男子代表監督はその後紆余曲折があって結局、選手に信望の厚い一全盛時代を築いた若い元オリンピック金メダリストに交代した。
(4)スポーツ競技には、それぞれ歴史、伝統、文化、競技特性(special quality)があって一律基準化もむずかしいところもあるし、それぞれに違った個性、特徴があってこその魅力でもある。
柔道には日本の伝統文化、武道としての「風格(personality)」も似合うが、そこに思い入れのあるのは強きをくじき弱きを助ける精神性、「人格(character)」イメージだ。
すっかり国際競技として人気、定着した柔道スポーツだが、日本柔道からは国際化に翻弄(ほんろう)されて「我」を見失った失望感しかない。
よりスポーツ化し競技の「質」が変わったとはいえ、かってのオリンピックチャンピオンのヘーシンク(オランダ)が見せていた風格(歴史的勝利の瞬間、畳になだれ込もうとする自国メンバーを手で制した)こそが、あこがれの日本柔道の具現性、精神性の強さではなかったのか。
(5)今回の監督暴力問題が全柔連組織と選手の「内紛」に発展(expansion for an internal trouble)ということになれば、選手達のやり方にも方法、問題はある。