(1)巳年は過去の歴史実証から大きな天変地異が起こる年(catastrophism)と言われている。今年もまだ1、2月というのに、①1月に2度中国フリゲート艦からの自衛隊艦船、ヘリに対する火器レーダー照射事件、②2月12日に北朝鮮の核実験強行(人為的とはいえ、危険で話題性の大きさから)、③15日には火の玉隕石のロシア中央部への落下で、衝撃波の影響による1100人超の負傷者と30億円と言われる建物ほか損壊被害が出た。
隕石は毎年数センチの小粒のものを含めて800個程度は地上に落ちる(報道)ものらしいが、これ程の被害をもたらしたものは記憶、記録にないと言われている。
④翌16日早朝には小惑星が気象衛星の地球周回軌道の内側、つまり地球との間をすり抜けるという、宇宙の巨大スケールからすれば星の数ほどある小惑星が極めてまれな精緻で微妙なピンポイント通過を果たしたことになる驚きだ。
⑤宇宙の太陽系は、地球が自転し、さらに太陽の周りを公転して成り立っており、1回自転して1日、1周公転して1年の時を刻んで、宇宙則に基づいて規律正しい永遠の時の流れの中にいる。
宇宙太陽系の成り立ち、存在、地球の誕生、成り立ちの解明は途方もない遥(はる)か彼方の問題であって、自然現象の不可思議な輪廻(りんね)も太陽系の地球の規律正しい活動のように宇宙則の影響を受けているものなのかさえ、不確かなものだ。
⑥火星では海と言われる水の存在痕が発見、確認されており、生命体の存在条件もあったと見られて、最近探査機がそこの物質(material)を採取したとされて宇宙の謎の解明の手がかりとしても注目されている。
科学的現実論からは、月や火星に生命体が存在しているということは夢物語に近いものであるけれど、パラドックス(paradox)として地球上にだけ生命体が存在しているという確率も100%ではあり得ずに、巳年には大きな天変地異が起きる天然現象も今年はくり返されて、地球の規律正しい自転、公転に見られるように深い宇宙の見えない方程則の支配をついつい感じてしまうのだ。
⑦予測できないものもあるし、防御できないものもあるが、巳年説に鑑(かんが)みて出来るだけの注意は怠りないようにしたいものだ。
(2)昨日のエネルギー問題を考えるNHK番組、いつものように「・・・しながら」の途中まで観ていたら、著名な重機メーカー社長が原発再稼働に関連して、化石燃料(石油、ガス、石炭ほか)は200年後には枯渇してしまう、原発下の活断層は1000年に1度あるかないかの確率の大地震の問題だから、確率論の比較検証から判断すべきだと述べていたのが印象的だった。
経済界の代表として経済力持続性持論を述べたものだが、200年後の「未来」には責任を持つが、1000年後の「未来」には責任は持たないというレトリック(rhetoric)な都合主義の比較論だ。
善良に考えれば200年後よりは1000年後の方が対策時間はあると言いたいのかも知れないが、「現実」に福島第1原発事故では、いまだに帰宅困難地域があって、事故収束など気の遠くなる話だ。
200年後までに向けて、誰が、どの地域がその「危険責任」を負うべきだと考えているのか、無責任で不可思議な論理展開だ。
隕石は毎年数センチの小粒のものを含めて800個程度は地上に落ちる(報道)ものらしいが、これ程の被害をもたらしたものは記憶、記録にないと言われている。
④翌16日早朝には小惑星が気象衛星の地球周回軌道の内側、つまり地球との間をすり抜けるという、宇宙の巨大スケールからすれば星の数ほどある小惑星が極めてまれな精緻で微妙なピンポイント通過を果たしたことになる驚きだ。
⑤宇宙の太陽系は、地球が自転し、さらに太陽の周りを公転して成り立っており、1回自転して1日、1周公転して1年の時を刻んで、宇宙則に基づいて規律正しい永遠の時の流れの中にいる。
宇宙太陽系の成り立ち、存在、地球の誕生、成り立ちの解明は途方もない遥(はる)か彼方の問題であって、自然現象の不可思議な輪廻(りんね)も太陽系の地球の規律正しい活動のように宇宙則の影響を受けているものなのかさえ、不確かなものだ。
⑥火星では海と言われる水の存在痕が発見、確認されており、生命体の存在条件もあったと見られて、最近探査機がそこの物質(material)を採取したとされて宇宙の謎の解明の手がかりとしても注目されている。
科学的現実論からは、月や火星に生命体が存在しているということは夢物語に近いものであるけれど、パラドックス(paradox)として地球上にだけ生命体が存在しているという確率も100%ではあり得ずに、巳年には大きな天変地異が起きる天然現象も今年はくり返されて、地球の規律正しい自転、公転に見られるように深い宇宙の見えない方程則の支配をついつい感じてしまうのだ。
⑦予測できないものもあるし、防御できないものもあるが、巳年説に鑑(かんが)みて出来るだけの注意は怠りないようにしたいものだ。
(2)昨日のエネルギー問題を考えるNHK番組、いつものように「・・・しながら」の途中まで観ていたら、著名な重機メーカー社長が原発再稼働に関連して、化石燃料(石油、ガス、石炭ほか)は200年後には枯渇してしまう、原発下の活断層は1000年に1度あるかないかの確率の大地震の問題だから、確率論の比較検証から判断すべきだと述べていたのが印象的だった。
経済界の代表として経済力持続性持論を述べたものだが、200年後の「未来」には責任を持つが、1000年後の「未来」には責任は持たないというレトリック(rhetoric)な都合主義の比較論だ。
善良に考えれば200年後よりは1000年後の方が対策時間はあると言いたいのかも知れないが、「現実」に福島第1原発事故では、いまだに帰宅困難地域があって、事故収束など気の遠くなる話だ。
200年後までに向けて、誰が、どの地域がその「危険責任」を負うべきだと考えているのか、無責任で不可思議な論理展開だ。