いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

理念と束縛のジレンマ。 dilemma between an idea and restriction

2016-11-12 20:00:58 | 日記
 (1)直近のメディアの世論調査で憲法改正に賛成とする人と反対の人の比率がともに半数近くの同数値という結果が出ていた。具体的にどこをどう改正するのかの質問はなかったので、現在安倍政権が進めようとしている各党による憲法審査会での論議に対する反応という程度のものとしても、国民の中にも憲法改正に対して前向きな意見がはっきり台頭してきているというあらわれでもあった。

 戦後長らく平和憲法は敗戦の反省から不文律として国民が守るものとの国民的合意があったが、戦後70年を経て安倍政権が進める憲法改正に対して国民の中にも変化、理解が進みつつあるということだ。

 (2)ただしまだ同数値の憲法改正反対論も同在するので、これで憲法が改正に向けて前進しているということではない。論議をすることに理解を示す人が増えて社会的機運が高まったというところだ。

 自民党、安倍首相がテーゼ(these)として掲げる憲法改正または自主憲法制定は、現行憲法が第2次世界大戦の敗戦により米国による日本占領支配の中で米国により「押し付けられた」憲法との認識の中で、日本国民の「手」による自主的な憲法制定が主権国家としての存在、役割であるとする民族主義的主権国家論にもとづくものだ。

 (3)現行憲法は日本古来の天皇制維持、国民の基本的人権保障、思想、教育の自由など国民の権利意識に立脚したものであり米国による統治関与のない規定で、憲法制定のアプローチは別にして主権国家としての統治能力、行為に他国の関与規定などない主体的な憲法規程ではある。

 憲法第9条だけは戦力不保持に交戦権を有しないと規定して主権国家としての独自の国防、防衛政策を縛る規定となっており、本来の主権国家の統治能力、行為に当初から制限が設けられたものだ。

 (4)これがかっての占領国米国の日米安保条約、軍事同盟関係により日本の防衛に関与を残す根底となっている。米国、米軍の核の傘のもとに日本が対外的に戦争に参加しない国家安全政策で、平和憲法として戦後の日本を経済成長路線にまい進させた国民的支持の高いものであった。

 本来的には日本が国防、防衛のために軍事力を持つのか持たないのかの判断、政策は日本政府、国民の独自の自主的なものであり、憲法上あらかじめ明文化して「自由」を拘束、束縛することなどはないのが常識であるから、唯一日本憲法の主体性を損なう第9条ということになる。

 (5)憲法第9条の改正が問題になるのは、その「理念」(idea)と「束縛」(restriction)の両面から主権国家としてふさわしいのかの問題提起になる。
 もちろんその理念と束縛を見直しても、実際の国防、防衛行動、政策をどうするのかという問題はまた別ものだ。

 一般的には「理念」と「束縛」が外れれば、政府の判断で制限も際限もなく漂流するというのが憲法論、法律論であるから、主権国家としての主体的、自主的憲法制定または改正問題のむずかしいところでもある。

 (6)とにかくも憲法改正問題で国民を2分する社会問題となっている現状だ。理念と束縛を取り外して、「高まい」な政治が良識的な判断から国家と国民を守り、国際社会で名誉ある地位を占めれるのなら問題はないが、そう信じられるのか国民の思いめぐらすところだ。

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