いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

年金改革無情。 cruelty of innovation of an annuity

2016-11-13 19:43:33 | 日記
 (1)政治の厚顔というのは国民に約束したことを平気で破るところだ。長年、労働賃金から社会保険料を負担し続けて定年後に年金給付を受ける年金制度は、自らの年金財源、原資の蓄えで将来の定年後の年金給付による生活設計を支えるものだが、政府は国民から取るだけで取っておいていざ年金給付に達する頃には年金給付の先送りに給付額の減額をくり返しておいて反省もない。

 (2)少子高年令化社会を迎えて支える人が減少して給付を受ける人が増加する年金インバランスで年金財源、給付が不足することが原因だが、これはそもそも戦後団塊世代の出現後の社会情勢の推移から当然考えられたことであり、政府が適切な対応、対策を取ってこなかった政府の無作為政治の結果であり、現在の少子高年令化社会に責任を転嫁するものではない。

 せめてこの政府のこれまでの無作為政治の失政の謝罪と今後の公平で公正な取り組みへの決意があってこその年金改革でなければ、さんざん社会保険料は納めてきての約束された年金給付が先送り、減額だけでは国民はたまったものではない。

 (3)そうしたら、またまた年金制度改革法案が今国会に提出されている。賃金の下落にあわせて年金支給額を引き下げる、対象高年令者給付を抑えて現役負担世代の役割軽減をはかるもので、現在の年金財源、原資不足からはこれしかないやむを得ない対策ではあるが、どうしてこうなったのかの説明、責任論が欠けた政府のこれまでの提案だ。

 少子高年令化社会の対応策というのは、増えた高年令者の活用問題というよりは国家、社会を現役労働力世代として支える若年層の活躍、意識、制度改革の問題だ。

 (4)高年令者の活用は労働力として考えれば若年層の労働機会と重なるものであり、相当うまく競合しないように役割を振り分ける必要があり、労働形態の変革から必要になってくる。

 ワークシェアリングという考え方があって、全世代を通じて収入は減っても誰もが「仕事」につける社会構造の改革だ。1日の労働時間を制限して複数者の労働力でまかなうというものだが、「収入にあわせた生活」理念が前提となる。
 今日的日本で問題となっているのは「生活にあわせた収入」問題であって、基本的な社会的価値観(a view of social value)の変更が求められる。

 (5)長時間労働による過労死がふたたびクローズアップされている政治(政府の労働政策の矛盾の結果であると本ブログで書いた)、企業倫理観の中では、特に若年層では容易に受け入れられるという理念ではない。

 特に安倍政権では経済最優先政策を掲げているので、働き方改革も福祉国家論ではなく経済至上主義論としての労働力強化にあるので、格差社会の拡大の中で誰もが満足を共有しうる社会とはならない。

 (6)少子高年令化社会は現役労働世代の若年層にとっては活躍の幅がそれだけ拡がっていることであり、まったくあたらしい概念としての労働、社会構造をつくりだす可能性、期待感はある。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする