(1)人間がどう生きて、どう働くかなどは極めて個人の考え、問題であって、社会が国が政府がどうこう決めることではない。それがこの国では政府が働き方改革とかいって働く構造を決めようとしている。
冒頭のような個人、国民がいなくなって、社会と国が働き方を決めないと示さないと回らない社会構造になっていることも要因だ。
(2)経産省の20~30代の若手職員が「若者が高令者を支える現在の社会保障制度を改め、働ける高令者は若者を支えるべきだ」(報道)とする報告書をまとめた。
国民は年令、老若男女にかかわらずに国家という運命共同体の構成員なのだから、相互に協力、協調しあって支え合うというのはいわずもがななことだ。
(3)少子高年令社会の到来は誰もが重々周知のことだが、これまで国、政府の打つ手が適切だったのかの疑問、問題がある中で国、政府の反省、検証もなく、さんざん若い頃は団塊世代の強力な労働力として国家、社会、当時の老令社会を支えてきて、いざ社会保障制度を国が約束したはずの年令に達すると若い頃から負担してきた老後資金の年金支給の今度は支える若者減少による財源不足とかで先送り先送りで、働けるうちは働いて若者減少社会をまた支えてほしいとは、ちょっと調子がよすぎるのではないのか。
(4)現実社会がそうではあっても、どこに問題があったのか。これまで少子高年令社会到来が重々予測できる中で無作為政策を続けてきた政府、機関から面と向かってそれまで国、社会を支えてきた高年令者が言われるような筋の話、ことではない。
少子高年令社会の問題点は、これまでの国、政府の重々に予測できながらそれに適切に対応してこなかった無作為政策によるものだが、今日的社会における働く世代が働き方方法論(methodology)について自己主張もなく建設的意見もなく、意欲もなく自立性もない社会になっているのはどうしたことか。
(5)冒頭にも述べたようにどう生きて、どう働くかは本来個人の自由で自主的な意思決定の問題で、国、政府に関与を受ける問題ではない。おせっかいに国、政府が働き方改革として個人の自由、自主、自立的判断、考えにまで関与することに、声をあげ行動を起こさない社会もおかしなことになっている。
それぞれに事情はあるから一概には言えないが、従来20代前半に独立、自主、自立生活に向かったものが今日的社会は40代でもパラサイト(parasite)世代といわれて久しい。
(6)どうしてこうなってしまったのか、こういう社会になってしまったのか、とくと考えてみる必要がある。
冒頭のような個人、国民がいなくなって、社会と国が働き方を決めないと示さないと回らない社会構造になっていることも要因だ。
(2)経産省の20~30代の若手職員が「若者が高令者を支える現在の社会保障制度を改め、働ける高令者は若者を支えるべきだ」(報道)とする報告書をまとめた。
国民は年令、老若男女にかかわらずに国家という運命共同体の構成員なのだから、相互に協力、協調しあって支え合うというのはいわずもがななことだ。
(3)少子高年令社会の到来は誰もが重々周知のことだが、これまで国、政府の打つ手が適切だったのかの疑問、問題がある中で国、政府の反省、検証もなく、さんざん若い頃は団塊世代の強力な労働力として国家、社会、当時の老令社会を支えてきて、いざ社会保障制度を国が約束したはずの年令に達すると若い頃から負担してきた老後資金の年金支給の今度は支える若者減少による財源不足とかで先送り先送りで、働けるうちは働いて若者減少社会をまた支えてほしいとは、ちょっと調子がよすぎるのではないのか。
(4)現実社会がそうではあっても、どこに問題があったのか。これまで少子高年令社会到来が重々予測できる中で無作為政策を続けてきた政府、機関から面と向かってそれまで国、社会を支えてきた高年令者が言われるような筋の話、ことではない。
少子高年令社会の問題点は、これまでの国、政府の重々に予測できながらそれに適切に対応してこなかった無作為政策によるものだが、今日的社会における働く世代が働き方方法論(methodology)について自己主張もなく建設的意見もなく、意欲もなく自立性もない社会になっているのはどうしたことか。
(5)冒頭にも述べたようにどう生きて、どう働くかは本来個人の自由で自主的な意思決定の問題で、国、政府に関与を受ける問題ではない。おせっかいに国、政府が働き方改革として個人の自由、自主、自立的判断、考えにまで関与することに、声をあげ行動を起こさない社会もおかしなことになっている。
それぞれに事情はあるから一概には言えないが、従来20代前半に独立、自主、自立生活に向かったものが今日的社会は40代でもパラサイト(parasite)世代といわれて久しい。
(6)どうしてこうなってしまったのか、こういう社会になってしまったのか、とくと考えてみる必要がある。