(1)人は善に生まれ悪に向かうのか、悪に生まれ善に向かうのか、行き着く先はそうは変わらない。人間そうは変わらないとすれば、「社会」が変わらなければ人間が抱える疑問、悩みは解決しない。
森友問題で当時の佐川理財局長が財務省決裁文書の書き換え、改ざんまでして破格値引きの国有地売却は正しい価格だと正当性を主張してまで守ろうとしたものは何だったのか。
(2)佐川理財局長は国会答弁で守り通したものからその後国税庁長官に起用され、安倍首相、麻生財務相からは適材適所と言われたが「社会」からは認められずに、本件で財務省職員から自死者が出て自ら辞任を決断した。
安倍首相、麻生財務相の政治判断、政治力が崩れた瞬間だった。
(3)佐川前長官は森友問題で国会証人喚問に呼ばれて、昨年国会で文書がない、残っていない、記録がないと事実に反する答弁したことについて、連日朝までの国会答弁の準備に追われて混乱していたと説明をして釈明した。
つまり連日朝まで働かされて頭が混乱していて虚偽答弁をしたと釈明したわけだが、そうさせた(連日の朝までの労働)安倍首相、政府は今度は「高収入の一部専門職を労働時間規制、残業代支払いから外す高度プロフェッショナル制度」を含む働き方改革関連法案を閣議決定した。
(4)まさか連日朝まで国会答弁の準備に追われて頭が混乱していて間違って説明したと言い逃れができるように配慮したわけでもないのだろうが、安倍首相、麻生財務相、政府には佐川証人発言がどう映ったのか、安倍首相、昭恵夫人にかかわる疑惑追及に官僚が連日朝まで働かされ答弁準備をして本人が言うように結果として頭が混乱して間違った答弁をしたとすれば、あまりにも反作用の皮肉な結果の労働時間規制を外す「高プロ」制度の閣議決定だった。
(5)理念的には、労働成果達成のために一定時間労働したものとして評価してそれに見合った労働賃金制で労働契約を結ぶことは労働契約の原理原則でもある。
人にはそれぞれに能力、特性に違いがあり一定時間内で成果を達成できる場合もあれば、それ以上の時間を要して成果につながる場合もある。
それは能力、特性だけでなく労働方法論として努力、効率、集中力として考えられることでもある。
(6)問題はそれらが自助努力でなく、組織など外的要因から強制され求められることで過酷な労働強化につながる危険性である。
冒頭に人が変わらなければ、変わらないとすれば社会が変わるしかないと書いたが、佐川前長官がそうまでして何を守ろうとしたのかわからないが、守るのは自分、個人の生活である社会倫理観、人生観(a view of own life)が達成されることだ。
森友問題で当時の佐川理財局長が財務省決裁文書の書き換え、改ざんまでして破格値引きの国有地売却は正しい価格だと正当性を主張してまで守ろうとしたものは何だったのか。
(2)佐川理財局長は国会答弁で守り通したものからその後国税庁長官に起用され、安倍首相、麻生財務相からは適材適所と言われたが「社会」からは認められずに、本件で財務省職員から自死者が出て自ら辞任を決断した。
安倍首相、麻生財務相の政治判断、政治力が崩れた瞬間だった。
(3)佐川前長官は森友問題で国会証人喚問に呼ばれて、昨年国会で文書がない、残っていない、記録がないと事実に反する答弁したことについて、連日朝までの国会答弁の準備に追われて混乱していたと説明をして釈明した。
つまり連日朝まで働かされて頭が混乱していて虚偽答弁をしたと釈明したわけだが、そうさせた(連日の朝までの労働)安倍首相、政府は今度は「高収入の一部専門職を労働時間規制、残業代支払いから外す高度プロフェッショナル制度」を含む働き方改革関連法案を閣議決定した。
(4)まさか連日朝まで国会答弁の準備に追われて頭が混乱していて間違って説明したと言い逃れができるように配慮したわけでもないのだろうが、安倍首相、麻生財務相、政府には佐川証人発言がどう映ったのか、安倍首相、昭恵夫人にかかわる疑惑追及に官僚が連日朝まで働かされ答弁準備をして本人が言うように結果として頭が混乱して間違った答弁をしたとすれば、あまりにも反作用の皮肉な結果の労働時間規制を外す「高プロ」制度の閣議決定だった。
(5)理念的には、労働成果達成のために一定時間労働したものとして評価してそれに見合った労働賃金制で労働契約を結ぶことは労働契約の原理原則でもある。
人にはそれぞれに能力、特性に違いがあり一定時間内で成果を達成できる場合もあれば、それ以上の時間を要して成果につながる場合もある。
それは能力、特性だけでなく労働方法論として努力、効率、集中力として考えられることでもある。
(6)問題はそれらが自助努力でなく、組織など外的要因から強制され求められることで過酷な労働強化につながる危険性である。
冒頭に人が変わらなければ、変わらないとすれば社会が変わるしかないと書いたが、佐川前長官がそうまでして何を守ろうとしたのかわからないが、守るのは自分、個人の生活である社会倫理観、人生観(a view of own life)が達成されることだ。