(1)政党支持率が1%の存在意味と書いたが、その国民民主党と自由党が出した答えが自由党を解党して国民民主党と合併することだった。
玉木雄一郎代表の国民民主党と小沢一郎共同代表の自由党は、根は09年民主党政権と同じでまた元のサヤに戻ったということだが、民主党政権時代に政策方針、路線を巡って党内対立をくり返して当時の圧倒的な支持の国民の期待に応えられなかった反省には今度は向き合えるのか。
何しろ当時と違って政権党でもない政党支持率1%とそれにも満たない政党同士の合併話なので、党内対立、不一致など論外の出直し政党ということだ。
(2)玉木雄一郎代表としては小沢一郎議員を選挙を統括する要職に起用する(報道)ことで、09年民主党政権誕生の手腕に期待しての合併だ。小沢一郎議員も自民党長期政権で幹事長を務めて権勢を誇りながら、その後離党して数々の政党を立ち上げては解党して「壊し屋」とも呼ばれてまたその都度政党助成金が不透明に引き継がれて問題視されたこともある。
金権政治の自民党田中角栄元首相につかえて、自らの政治信条もそれに近いものがある。
(3)民主党政権を誕生させたのは、自民党の長年の金権体質、既得権益保護体制に嫌気をさした国民に対して、当時の自民党離党者から革新野党の民社党まで幅広い層の議員の結集によりそれまでの自民党政策にない公共事業の見直し、高校授業料無償化、高速道路無料化など目新しい政策を掲げて圧倒的な国民支持を受けて民主党政権の誕生となったものだ。
(4)しかし自民党から民社党まで保守革新のにわか混成で、政策はどれもが準備不足、詰めが甘くて財政的裏付け、保障もなく、選挙勝利至上の党内事情の欠陥があきらかになり国民の失望を買ってわずか3年半で政権崩壊を招いた。
今回国民民主党と自由党はこの元のサヤに戻ったわけだが、小沢一郎議員を再び選挙統括に起用するという同じ道を歩むもので、当時の反省は生かされているとは考えならない。
(5)他の野党からも小沢政治手法には警戒感も強く、合併話が野党の選挙協力、野党再編のダイナミズム(dynamism)になるとは考えられない動きだ。むしろ国民民主党、自由党内からは一部合併に反対する離党の動きがみられる。
小沢一郎議員がかっての自民党長期政権で首班指名にも影響を与える権力者(幹事長)として存在していたのに、その自民党を離党した時からその行動原理は理解できない、わからないものだったが、自民党内に自らの影響勢力を拡大する基盤をつくれなかったのか、自民党離党以後は理念、理論、理想のないあるいは見えない政治行動で、自分の自我、欲望、恣意、利益感情で動く姿勢が強く感じられるものだった。
(6)政党組織の中では人を動かして意思、考え、理論を形づくることができずにあるいは嫌って、自らの自我、考え、感情で従わせる手法は情報コミュニケーション時代にはそぐわない政治スタイルで壊し屋でしかなかった。
合併で国民民主党は衆院40人、参院24人(計6人増員)となってそこそこの政治勢力だが、政党支持率は1%を推移してインバランス(imbalance)が続く。
玉木雄一郎代表の国民民主党と小沢一郎共同代表の自由党は、根は09年民主党政権と同じでまた元のサヤに戻ったということだが、民主党政権時代に政策方針、路線を巡って党内対立をくり返して当時の圧倒的な支持の国民の期待に応えられなかった反省には今度は向き合えるのか。
何しろ当時と違って政権党でもない政党支持率1%とそれにも満たない政党同士の合併話なので、党内対立、不一致など論外の出直し政党ということだ。
(2)玉木雄一郎代表としては小沢一郎議員を選挙を統括する要職に起用する(報道)ことで、09年民主党政権誕生の手腕に期待しての合併だ。小沢一郎議員も自民党長期政権で幹事長を務めて権勢を誇りながら、その後離党して数々の政党を立ち上げては解党して「壊し屋」とも呼ばれてまたその都度政党助成金が不透明に引き継がれて問題視されたこともある。
金権政治の自民党田中角栄元首相につかえて、自らの政治信条もそれに近いものがある。
(3)民主党政権を誕生させたのは、自民党の長年の金権体質、既得権益保護体制に嫌気をさした国民に対して、当時の自民党離党者から革新野党の民社党まで幅広い層の議員の結集によりそれまでの自民党政策にない公共事業の見直し、高校授業料無償化、高速道路無料化など目新しい政策を掲げて圧倒的な国民支持を受けて民主党政権の誕生となったものだ。
(4)しかし自民党から民社党まで保守革新のにわか混成で、政策はどれもが準備不足、詰めが甘くて財政的裏付け、保障もなく、選挙勝利至上の党内事情の欠陥があきらかになり国民の失望を買ってわずか3年半で政権崩壊を招いた。
今回国民民主党と自由党はこの元のサヤに戻ったわけだが、小沢一郎議員を再び選挙統括に起用するという同じ道を歩むもので、当時の反省は生かされているとは考えならない。
(5)他の野党からも小沢政治手法には警戒感も強く、合併話が野党の選挙協力、野党再編のダイナミズム(dynamism)になるとは考えられない動きだ。むしろ国民民主党、自由党内からは一部合併に反対する離党の動きがみられる。
小沢一郎議員がかっての自民党長期政権で首班指名にも影響を与える権力者(幹事長)として存在していたのに、その自民党を離党した時からその行動原理は理解できない、わからないものだったが、自民党内に自らの影響勢力を拡大する基盤をつくれなかったのか、自民党離党以後は理念、理論、理想のないあるいは見えない政治行動で、自分の自我、欲望、恣意、利益感情で動く姿勢が強く感じられるものだった。
(6)政党組織の中では人を動かして意思、考え、理論を形づくることができずにあるいは嫌って、自らの自我、考え、感情で従わせる手法は情報コミュニケーション時代にはそぐわない政治スタイルで壊し屋でしかなかった。
合併で国民民主党は衆院40人、参院24人(計6人増員)となってそこそこの政治勢力だが、政党支持率は1%を推移してインバランス(imbalance)が続く。