いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

読書世論。(調査) survey of public opinion about reading

2011-10-26 19:42:06 | 日記
 (1)インターネット社会の台頭もあったのだろう、読書離れが顕著になって久しかったが近年は中学、高校生に読書志向の傾向も見えて、書き手にも若い世代の台頭も目立つ。
 メディアの読書世論調査(survey of public opinion about reading)では、読書の必要性を「94%」が認識しているが、実際、本を読むと答えた人は「52%」でこれでも増加傾向が示されて、3年ぶりの50%台と言うことだ。

 理想と現実のギャップ(gap)は大きいものだが、興味があるなしにかかわらずに瞬時に多様な情報が入ってきて、簡単に選択できるネット社会の便利さ、安易さの中では、テーマを選択して中身を読み解く能力と努力と覚悟と時間が要る「読書」は、現代人には苦痛(pain)な「作業」でもある。

 (2)新聞を含めて活字文化は、記録性、記憶性、分析力、解説力、検証力、学習力、利用力に優れて他のメディア文化に比較していつの時代でも普遍的な唯一価値観を持つものだ。
 インターネットと活字のフュージョン(fusion)電子書籍が開発されて収録性、保存性、即時性に進歩は見られるが、書籍本の優れた記録性、記憶性、自在性、検証力、利用力による価値観は変わらずに、「すみ分け」が明確な時代を迎えるだろう。

 (3)本を読むと答えた52%、「楽しい」から(33%)が、「役に立つ」(21%)、「教養」(18%)を押さえてトップに立つ。
 経済学者ドラッガーの「マネジメント」をモチーフにしたフィクションが広く支持されて読まれる時代の象徴をも示すものだ。
 昨今のベストセラーランクを見ていても、題名が判然としないタレント本、料理本、写真集が上位を占める現在傾向だ。

 現在フィクション(fiction)の書き手の力不足もあって、ノンフィクション(nonfiction)ニュース本、解説書、入門書全盛(66%)の時代でもある。
 東日本大震災、原発事故による専門基礎用語、知識の氾濫も関心を高めている要因だ。歴史、時代考証、事実、真実の「重み」、価値観はいつの時代でも不変で、「ノンフィクション」への魅力、力、関心の高さを示すものだ。

 (4)それはまた、中身を読み解く「作業」を苦痛(pain)とする現代人の特徴でもある。古典本を低価格文庫で提供しても、60%近くが関心がない(買ってみたいと思わない)と回答している。

 文豪が心的作業で人間万物、万象の深層心理を描ききった名作古典の原本が、社会のパラダイム(paradigm)として必要となる時代は必ずくるはずだ。
 比較して、現在フィクションの「軽さ」が気になる。書き手の力不足によるものだが若い書き手の台頭もあり、時代に迎合しない重厚さ、社会現象化への挑戦に期待したいものだ。

 活字が与える影響力は、人間の考える力を惹起(じゃっき)、喚起する。

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除染と防衛ネット。 eliminative contamination program

2011-10-25 19:34:51 | 日記
 (1)米国、日本の原発の使用済み核燃料の最終処分場を第3国のモンゴルに設置する計画が浮上したが、当然のようにモンゴル国民の反対にあって白紙となった。
 モンゴル政府としては広大な処分土地を活用した経済効果を、排出国は危険環境の海外移設による安全保障という政治的、経済的互恵関係を狙ったものだが、福島原発事故と続く米国原発事故による世界的な放射性物質拡散の脅威意識の高まりの中で、余りの国際政治の自国開発の都合主義、押し付け政策は受け入れ国民の健全な判断で白紙とせざるを得なかった。

 自国の放射性物質の「脅威」を他国、海外に拡散するなどという不条理な方針は、無責任極まりない総体的な戦略的な原発開発システムの安全性機能、処理責任無視、欠如の結果責任だ。自国の危険脅威は自国エリア内で安全に封じ込めることが、責任ある国際社会のパラダイム(paradigm)だ。

 (2)東日本大震災にともなう福島原発事故の収束の中で、都市機能復興に欠かせない「除染(eliminative contamination)」作業が始まっている。
 国は除染作業についても、方法、方式、貯蔵、処理、安全について総合的な統一的有効な一貫性のある考え、方針、政策プログラムを打ち出せないでおり、被災地自治体独自で先行して、除染作業を実施しているのが現実だ。

 除染も一度で済むのか、除染周期はどの程度なのか、処理した汚染土壌の最終処理方法、場所の確保はどうなのか、草、木、花、果物の除染に有効な方法、方針はあるのか、不十分、不透明のままだ。

 政府は、当面の汚染土壌の仮置き場を各被災自治体に設置する方針を示しているが、自治体の住民不安(健康、風評被害)を背景に進展していない。アンケートによると、中間貯蔵施設を「受け入れない」と回答した除染実施自治体は46%と半数近くにのぼる。
 仮置き場、最終処分場の設置場所の確保も未定が大半で、原発事故震災復興に除染の必要性は認識しても、放射性物質汚染の危険環境は地元では引き受けられないという当然の自己安全防衛意識が根強い今の段階だ。

 (3)大震災による原発事故の将来に及ぶ甚大な被害影響は、被災地住民には誰もが直接責任(自治体は原発受け入れ)のあるものとは言えない。その押し付けられた災害不幸は、はかりしれないものがある。

 しかし、被災地内の環境悪化をただ被災地外に流出、拡大すれば済む、緩和されていいと言うものではない。冒頭の使用済み核燃料の最終処分場を第3国に委ねる方針の否定問題と同じく、被災地の危険環境の改善、安全回復を強力に推進するとともに被災地内で「安全」を封じ込めることもやむを得ない安全防衛対策には必要なことだ。
 危険の意識を共有することは大事だが、現実的に危険環境を拡大することは避けなければならない。

 政府が一貫性のある総合的、統一的有効な除染対策の方向性プログラム(eliminative contamination program)を早く打ち出すべきことが震災復興、安全実現には必要なことだ。

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極端な独裁。 ultimate autocracy

2011-10-24 19:34:46 | 日記
 (1)王制を無血クーデターで倒した中東リビアの軍人独裁者カダフィ大佐が、半世紀近くの国民抑圧の末に「アラブの春」市民革命に拘束後殺害された。
 独裁者カダフィ大佐の殺害の仕方については全容は不明だが、独裁者であっても世界は十分に寛容だから、正義のパラダイム(paradigm)に反しているのではないのかと問題視されている。

 国家に元首(首相)も置かず憲法もない、「自分(カダフィ大佐)」だけが正義のパラダイム(justice paradigm)の極端な国家支配体制(ultimate autocracy)で、強大な石油資源利権を背景に理念のない個人崇拝、長期独裁支配国家だった。
 自国独裁支配の思惑を国際テロ支援で君主気取りに世界不安に広めようとしたが、経済・軍事制裁の国際包囲ネットにさえぎられて、事実上カダフィ大佐の個人独裁支配の思惑は終わりを迎えていた。

 その後は唐突な包囲ネット主導の米国寄りに軌道修正したり、個人の思惑だけで国が動く支離滅裂な無軌道ぶりだけが目立ち、遅すぎた市民革命の「アラブの春」に一応言うならば政治生命を絶たれた。
 こういう古い原始的な政治風土、体質が見直されるのに半世紀近くも費やしたところに、世界の政治の不条理、不正義を強く実感する。

 国家主権の相互不干渉は、国民、市民の自由な選択権があってこそのパラダイムで、近代国家論の現在にいまだそれを抑圧する政治風土、体質が現存することに人間の不条理(unreasonableness)、不可思議を覚えるばかりだ。
 世界はグローバルな経済協調基調主義の中、せまい独裁抑圧主義(自分だけが正義)が生き残る道はない。
 
 (2)日本に目を移せば、福島原発事故、九電原発PR報道メールやらせ事件での政府の関係民間事業者への露骨な内部(人事・責任)干渉だ。 
 自社防衛偏重で責任の取り様も心得ない事業者に問題はあっても、行政の突出した民間干渉は、「自分だけが正義」の思い込み間違いはないのか。
 政治の主権者である国民、市民の判断能力、「力」をもっと信用していいはずだ。
 政府の方向性には、経済再建のモチーブパワー(motive power)となる民間活力を損なう思い込み間違いの反ベクトルの負荷を感じる。

 そうしていると今度は民主党議員の中から、裁判官の判断、判決に対する威圧的な横ヤリ発言だ。「冤罪(無実の者に対する有罪化)判決にかかわった裁判官には何らかのこと(弾劾)を考えるべきだ」との趣旨発言だ。

 裁判には、判決が不当だと思うものには当事者責任で控訴が認められており、なにより三権分立の相互不干渉の独立性が保障されている。
 行政(政治家)が司法(裁判所)に「自分だけが正義」を振りかざすことは認められない。

 ことに政治資金規正法違反での民主党元代表・幹事長の強制起訴裁判進行のなかでの、利益誘導ともとらえられかねない不当干渉発言だ。
 政治の不条理は、中東、北アフリカだけのことでもなく、議院内閣制、民主主義国家の日本でも存在することが現実だ。

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つるが。 k. zaitsu live & talk 2011 concert

2011-10-23 19:23:03 | 日記
 財津和夫さんが心を込めて静かに心から魂の教示のように諭すように歌ったから、こちらも心置きして気を引き締めて聞きました。そんな「ストーブ」、「ぼくがつくった愛のうた」です。すばらしかった。

 気比(けひ)の松原、菊の御紋の気比神宮の敦賀市に来ています。なまあたたかい海の強い風が吹いてきます。気比神宮から歩いて10分の敦賀市民文化センターホールでの財津和夫さんのlive & talk コンサート、スポンサー・オファー・コンサート(sponsor offer concert)です。

 午後6時30分、一点のスポットライトに照らされたセンターステージにグレーシャーツスタイルの財津さんが登場してコンサートはオープニングです。
 「秋も終わりかなと思うような寒い日が続いていたと思ったら、今日は湿気のあるなまあたたかい風が吹いてきて、こんな日は幽霊がでるんですが、今日のコンサートは本当になんかいいすてきな風が吹いていたよねと言われるように最後までがんばって歌ってみたいと思います。」と「白いシャツの君」と「サイドシート」です。

 「そしてまたあなたへ」が終わって財津さんひとりキーボードに移ってペットボトルでのどを潤(うるお)します。
 「水を飲むシーンをお見せしました。皆さん、青春時代と言うといつの頃のことですか。ボクは、学生時代かな。15~20才ぐらいまでの間、学生時代真っただ中です。しかも一番むづかしい年頃でございます。
 将来に不安いっぱい、どうやって食っていくんだ、自分はどんな大人になっていくんだろう、どうやって死んでいくんだとかいろいろ考えますけれど、そこは人間ですから、ボクは男ですから女性のこと考えますと頭の中の不安が全部吹っ飛んでしまいます。
 明日は女性と映画を観にいかなければいけないとか思ったら、もらったこの腕時計を質屋に入れようとかとてもリアルな行動ができるようになります。将来の不安もなんにもなくなってしまいます。」と冒頭のすばらしい「ストーブ」、「ぼくがつくった愛のうた」で第1ステージが終わり10分の休憩です。

 アコースティック基調の第1ステージは、財津さんの厚い重厚なメロウボイスに歌唱力が際立って深遠な財津音楽の世界です。
 第2ステージのバンドサウンドは、今日はちょっと抑え気味にどちらかと言えばリラックスした感じでしょうか。財津和夫さんのそれとわかる特徴のあるメロウ(mellow)な楽曲群、メロディ、リズム、ハーモニー、アレンジ音楽の世界を展開します。

 発声練習から始まった「切手のないおくりもの」のホール一体となったコーラスワーク、1・2F満席の大ホールでのコーラスですから、しかもかなり多くの観客が参加したホール一体となったコーラスでこれがまたアンサンブルが効いていてとてもきれいでね、財津さんも「気比んのあるコーラス、すばらしい」と敦賀色を出しました。「気がついてくれましたか。バラバラの拍手ありがとうございます。」
 夏川りみさんがこの財津さんの楽曲をリリースします。編曲は財津楽曲の編曲をよく担当しているキーボード奏者の清水俊也さんです。

 「今はこんな風にステージやっているこの頃ですが、こうやって無事元気に健康でやっていれるのは本当にうれしいです。
 これからまた敦賀にやって来ますのでお会いしましょう、じゃ、またねとも言えない年になりましたが、できるだけがんばって歌っていきたいと思います。」と「サボテンの花」です。

 最近の財津さんは、精進もあってボイスに厚みが出て迫力があります。

 圧倒的な大ホール満員の迫力ある拍手に迎えられたアンコールで午後8時30分すぎコンサートは終演し、外はコンサート直前に降り出した雨が激しくなっていました。

 ミュージシャン 財津和夫(V G Pf) 山内和義(B Pf Ft) 小泉信彦(Pf) 田中トオル(Ds) 尾上サトシ(G)

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沖縄問題を考える。 thinking about the okinawa affairs

2011-10-21 19:33:30 | 日記
 (1)来るところまで来た沖縄問題を考える。政府、沖縄の相反する主張のガマン、根気比べに米国(軍)は普天間基地のこれまで通りの使用が続くだけのこれもガマン、根気比べだ。
 この三すくみのガマン、根気比べ、どこが焦(じ)れてそれぞれの抱える怒りを爆発させるのかの問題だ。

 少々まず米国から日本の対応、日米合意〔沖縄軍事スタンスのプライオウリティ化(priority principle)〕の履行を強く求める不満が表れ始めている。今年10月の日米首脳会談でのオバマ大統領からの強い要請に続き、米国政府関係者から来年6月までに日米合意に基づき辺野古沖移設の埋め立て工事開始の条件(知事認可)をクリアーすべく具体的な意向が示された。

 日本政府はそれを受けて、この後立て続けに官房長官、防衛大臣、外務大臣を沖縄に派遣して日米合意の実施を前提とした政府の方針を沖縄県知事ほか自治体関係者に伝えているが、足元を見られた政府の意図に沖縄の反発はただ強くまったくの平行線のままだ。
 それにしても、政府関係大臣の存在感の軽さだ。大臣の肩書に押し潰されそうなミスマッチの政治家のぜい弱さでは、とても説得力を持って迎えられない。

 (2)県外移設を求める沖縄、辺野古沖埋め立ての許認可権を持つ知事、辺野古沖周辺への移設で合意した日米(沖縄軍事スタンスのプライオウリティ化)政府との三すくみ、両極スタンスの中で、米国(軍)の「沖縄軍事スタンスのプライオウリティ化」(沖縄重視)がさらに問題を複雑化している。

 仮に強行執行突破できる可能性のある方針方向としては、「辺野古キャンプデェービット陸上部」への移設と言うことになる。しかし、この方針も駐留米軍沖縄最大規模の普天間基地の基地機能を考えれば、「物理的」に辺野古陸上部案では納まらずに収束はできない。
 仮に移設規模を縮小したとしても滑走路建設構造上、米軍機の離発着による付近住民へのあらたな危険を生むことになり、危険問題をスリップ・トレード(slip trade)しただけの本質的な問題解決にはならない。

 米国議会関係者からは嘉手納基地への統合案も聞こえてくるが、米国政府・軍は日米安保、軍事同盟と沖縄の治外法権化占有政策から問題にしないだろう。いまだに日本への原爆投下をやむを得なかったとする国民が過半数(60%)を占める米国だ。(メディア調査)

 (3)日本政府は辺野古沖環境影響評価(assessment)の報告書を今年中に沖縄県知事に提出する。沖縄県知事はこれに回答をする義務がある。基地周辺の安全性優先、日米合意前提の「政治的」観点を置いといて、辺野古沖環境影響評価での沖縄の「回答」を既定事実化して「足がかり」に移設環境整備の「理論的」協議を始めようというところだ。

 そもそもこの問題は日本国内、領土内のことだ。民主党政権が主張した駐留米軍基地の国外、県外移設はむしろ当然のことでもあった。もっと日本政府の意向が優先されて取り上げられる当然のテーマである。
 それが半年もたたない内に唐突に県内辺野古沖への移設の日米合意になった「不可解」が、日米の「力」(安保・軍事同盟)関係を示すものだと割り切ってはいけない。もっと議論を深めることだ。この問題で国民的議論が広がらないことが、米国に足元を見透かされている要因だ。

 (4)今後は、拙速な打開策として沖縄返還時のように国民に将来にわたって不利益を及ぼす「密約」などが基地移設問題でもまかり通ることなどないように、両政府を注視、勧告することが必要だ。

 最後にトリッキー(tricky)な手段としての首相の超法規的越権行為(知事の許認可権代行)だが、自ら民主主義の原点を踏みにじる地方自治の破壊を招いて余りにもリスクが大きすぎる。

 国民の生命、財産、安全、生活、権利を守るのが主権国家の責務だが、それを日米安保、軍事同盟に託している(託さざるを得ない)現実を三者がどう折り合うのかが突きつける問題意識だ。

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