Kオジサンの新・山歩きの記

山歩き&ウオーキングのサイト

山が好き 花が好き 自然が好き!!

湖北 余呉トレイル 行市山から - 柳ケ瀬山へ

2011-09-16 20:49:53 | 水曜会

久し振りに登山靴を履きました。8月に硫黄岳に行って以来ですので、1ヶ月以上が経過しています。


「ジオンと山歩記」さんが主宰する「水曜会」で余呉トレイルに参加しました。今日のメンバーは9人。岐阜県組4名。滋賀県組2名。愛知県組2名。そして地元の福井県組1名と言うメンバーでした。
余呉トレイルは中央分水嶺で日本海へと太平洋への水が流れる分け目となっています。



琵琶湖の北東に余呉湖と言う小さな湖が有ります。
その南側には賤ヶ岳。少し北の方には内中尾山で玄蕃尾城跡が有ます。
この湖北地域は信長が亡くなった後に跡目争いが起こり、秀吉と柴田勝家が戦った古戦場地帯です。


GPS軌跡図。乱丸さんから戴きました。


行市山登山口(9:01) ― 別所山砦跡(10:01)~(10:05) ― 行市山山頂(10:58)~(11:02) 


― 分岐(11:05) ― お昼の場所(11:55)~(12:58) ― 刀根越(13:58) ― 柳ケ瀬山(14:07)


 ― 玄蕃尾城跡(14:13)~(14:43) ― 刀根越(14:52)~(14:58) ― 柳ケ瀬登山口(15:30)  



まず、最初に下山口の柳ケ瀬に車をデポしてから出発です。
登山口には毛受(めんじゅ)兄弟の墓があり、手厚く葬られています。


猪よけのフェンスを開いて登山道に入って行きます。


登山道には100メートルごとに小さな柱が立てられ、山頂までの距離を現しています。そんな、登山道を進みました。


ヤマジノホトトギス。クモの巣が張っていました。


行市山の山頂。ここも戦国時代に砦となった場所です。
東南の樹木が切り払われ眺望がきくようになっていいました。


山頂からの眺望。
余呉の町が見降ろせました。

お昼の食事を食べたのは、登山道の開けた場所でした。誰も登って来る気配がありませんので、私たちの貸切みたいなつもりでシートを広げました。皆が持ち寄った沢山の食材。美味しかったです。
1人分づつの容器にそうめんを分け、牛肉をトッピングし、グリンピースを乗せ冷たいカレーソースを注ぎました。


登山道は整備されていましたが、行市山から柳ケ瀬山へ向かう途中には、足元は、道がしっかりと付いていましたが、高く伸びたクマザサをかき分けて進む所も有りました。

玄蕃尾城跡
玄蕃尾城は倉坂峠(刀根越)に近く、交通の要衝にあります。
しっかりとした城郭の遺構が今も残っています。戦に備え土塁を築いたのでしょう。この城跡の周囲には樹木が有りますが、当時は戦に備え、皆切り払われたのではないでしようか。そして火縄銃や弓で、敵を迎え打ったと思います。


広い城郭。
土塁が残り、当時の姿を想像させます。



両側が切り立っていて、谷底の形になっています。                    ジオンさん提供
通行するには、どうしてもここを通らなければなりません。

倉坂峠(刀根越)
両側が切り立った壁のような形状をしており、往来するにはどうしてもこの峠を通る必要が有ります。
北陸線が開通し柳ケ瀬トンネルが出来ましたが、それまでは、ここを難儀して旅人が通っていました。
土地の形状から関所や、検問所が有ったかも知れないと思いました。
下山は、峠から柳ケ瀬まで歩きましたが、道幅が広く当時、荷を乗せた馬が往来したのだろうと言う雰囲気を感じました。
琵琶湖を水運で運ばれ、木之本で陸揚げされた物資がこの峠を通過して北陸を目指しました。


幅が広い道。
人や馬が往来し、賑わったことが想像できます。


下山してきた柳ケ瀬にあった説明板。


余呉トレイルの第1回に参加させて貰いました。
残暑の残る日で気温が高く、暑さから歩くのが厳しかったです。
特に昼食場所へ着くまでにバテてしまいました。
昼食後は少し元気を取り戻せました。

戦国の時代。大きな城郭が残っている玄蕃尾城跡。登山口の毛受兄弟の墓。戦国の時代を思う、ロマンが広がります。戦に備え、鎧武者が往来した姿が想像できました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする