関市の下之保に日龍峯寺が有ります。本堂の前方が舞台造りで京都の清水寺に似ていることから、美濃清水とも呼ばれ、通称「高沢観音」で親しまれています。このお寺の北側に裏山のように高沢山、大仏山、本城山が続いています。そんな山の山歩きでしたが、岳友タンネの会の登り初めをしてきました。
Nさんから頂いたGPS軌跡図です。
日龍峯寺の駐車場から日龍峯寺へ。その後は裏山の高沢山へ行き、大仏山へ。そして本城山に向かいました。
日龍峯寺の駐車場から山歩きのスタートです。
まだ、松の内で門松が残っています。
日龍峯寺の多宝塔です。
立派な多宝塔。重要文化財に指定されています。
清水寺の舞台造りのような日龍峯寺です。
寺の階段を登って行き、山歩きが始ります。
高沢山の山頂近くです。
山頂近くになると勾配がキツくなりました。
高沢山山頂のプレートです。
山頂でも、眺望は良くありません。
40m先で白山、御嶽山が見えると書いてあります。
40m先の場所での眺望です。
北の方に白山。北東の方角に御嶽山や乗鞍が望めました。
歩いて来て大仏山に来ました。
木々の間から反射板が見えました。
大仏の三権現です。
祠に石碑が安置されていました。
富士山大権現。
立山大権現。
白山大権現。
三大霊場の名が刻まれています。
ここにお参りすれば、三大霊場を参った事になるのだろうか。
本城山に向かう途中に有った指示標柱。
小さな指示標柱ですが、綺麗な字で書かれています。
「富野ふれあいのまちづくり委員会」と表示しています。
想像なのですが委員会のメンバーに、元校長先生が入っているのではなかろうか。
校長先生は生徒の卒業証書に名を書き加えなければならないのです。
筆で達筆な人が多いようです。
ですからこの標柱の文字を見て、元校長先生が加わっているのではなかろうかと想像したのです。
もう直ぐ本城山の山頂です。
本城と言うようにかつてはお城が有った本城山です。
城郭の形を供えていて下から5段、4段、3段と階段状になっており、守りに備えたと言う感じがしました。
山頂に到着です。
大きな岩。
岩の先に山頂からの眺望が開けました。
富野ふれあいのまちづくり委員会による本城山山頂のプレートです。
本城山山頂の眺望です。
肉眼では良く見えるのですがね写真にすると不明瞭です。
白い煙が上がっているのが可児市の大王製紙です。
その右が鳩吹山。右に行って小さく突起した山が尾張富士と本宮山です。
更に右に転じると明王山や金華山が見えました。
山頂から下山して行きます。
真っ直ぐのルートと迂回して行くルートが有りました。
下山ですが真っ直ぐのルートを進みます。
大仏に戻ってきました。
大仏から下山して行きます。
帰路に見た御嶽山です。
白い噴煙が出ているのが判ります。
高澤古道の展望台です。
展望台の看板を設置した時には展望が広がっていたのだろうが、樹木が伸びて視界が狭まっています。
高澤観音まで戻ってきました。
舞台造りの本堂の下です。
五輪塔、そして解説の石碑が有りました。
石碑に取り上げられていた人物は「佐藤才次郎方政(カタマサ)」と言う人です。美濃上有知(コウジツ)と有りますが、現在の美濃市上有知です。この一帯を治めていたのでしょう。
新加納合戦と描かれていますが、新加納は各務原市の那加で、中山道の鵜沼宿と加納宿の間の距離が遠いので間(アイ)の宿でした。旗本坪内氏の菩提寺である少林寺や新加納陣屋が有ります。
金華山の稲葉山城を構えるのが斎藤龍興。対する美濃の制圧を目論む織田信長。両軍が激突したのが新加納合戦です。各務原台地の西端に位置する新加納。台地の端で眺望が良く稲葉山城が見えます。この場所で戦われた新加納合戦。どの辺りで戦が有ったのだろうかと思います。
駐車場へ戻ります。
最後に
楽友タンネの会の新年、最初の山歩きに参加しました。
好天に恵まれ1月にしては、良い陽気でした。
石碑に描かれていた鉈尾山城は美濃市の古城山です。登った事が有る古城山。アノ山と佐藤方政が結びつくことが面白いです。