久し振りに水曜会に参加し、冠山へ行ってきました。今回のメンバーはジオンさん。Dolphyさん。あさひさんです。このメンバーと一緒するのは久し振りでしたが、冠山に上るのも、久し振りです。以前に登った登った記憶が薄くなっていまして、新鮮に感じました。
登山口(9:16) ― 冠山壁の下(10:43) ― 冠山壁の上(11:00) ― 山頂(11:02~12:17)
― 冠山壁の上(12:19) ― 冠山壁の下(12:34) ― 冠平(12:36~12:47)
― 冠山壁の下(12:49) ― 登山口(13:50)
衣冠束帯と言う言葉があります。辞典に寄りますと、束帯は日常の参朝の服で、朝廷の儀式・公事に着用したと在ります。衣冠の冠は冠型の被り物です。冠の形をしているから冠山ですが、他の山では烏帽子と言う言葉で呼ばれる山が多いです。横から見ると冠の形そのもので、切り立った山形をしています。
紅葉が始まる時期の山でしたが、ゆっくりと時間をかけて歩きました。
山と渓谷社。「名古屋周辺の山」より出展。
冠山林道から見えた冠山です。
南側からの眺めですが、切り立った山容をしています。
冠山峠に着きました。
登る準備をして、登山口に向かいます。
大きな「冠山峠」と刻まれた石碑が迎えてくれます。
これから登りを開始します。
樹林が切れ、冠山が見えます。
冠山が近くに見える所まで来ました。
アップダウンが連続します。
急な登りの箇所もあります。
冠山が迫って来る場所まで来ました。
紅葉の始まりです。
ナナカマドが色づき始め、枝に赤い実が着いています。
冠の壁に登ります。
山頂近くとなり、若干、紅葉して来ています。
登っていた人が山頂方向から降りてきます。
下って来た人をやり過ごし、登りに掛かります。
振り返ると冠平が眼下に見えます。
あの場所に居る人は、先程、壁に取りかかる前に言葉を交わした人たちでしょうか。
ロープに掴まり、慎重に登るKオジサンです。
山頂部に上がり、奥美濃の山を同定します。
周囲、360度の眺望は抜群です。雷倉。花房山。小津権現。蕎麦粒などなど、遠くには伊吹山が見えました。。
眼下には満水の徳山ダム湖が見下ろせます。
以前に来た時は徳山ダムが工事中でしたし、また、別の時は湛水を始めた時でした。
こうして、以前に登った山々を同定するのも、山の面白さの1つです。
小津権現山から花房山へ縦走したことを思い出します。
蕎麦粒山はフィールドアスレチックのようなコースで、途中断念した覚えがあります。
冠山の山頂。
360度。周囲を見渡せます。
遠くに白山が望めましたが、残念ながら雲が掛かっています。
左のプレートは2002年5月6日の時のものです。
職場の人間関係で憂鬱になっていた時でした。ここへ次男が一緒に登ってくれたのです。
右は2014年10月8日のものです。歳月の流れに寄り、朽ちてきました。
このプレートの裏に北中山山の会。平成13.8.19と刻まれています。
プレートが風雨に晒されて朽ち、歳月の流れを感じさせます。
ランチを終え、下山を開始しました。
冠の壁を下ります。
下から登ってくる人が有り、道を譲り登って来るのを待ちます。
壁の下に降り、冠平に向かいました。
冠平の遭難者の石碑。
昭和30年11月6日に遭難事故が発生し、その時の状況が記してあります。
まだ、テレビが普及していない時代。
登山の装備も稚拙だった頃でした。
低気圧が急速に発達して、寒気をもたらし悪天候となってしまいました。
歳月の流れと共に、碑の面が汚れ、読み難くなって居ます。
以前、冠山に登った後、岐阜県図書館で当時の新聞をコピーした事が有りました。
昭和30年11月7日(月)
東海夕刊です。
東海夕刊は今の岐阜新聞です。
遭難事故は6日の日曜日に起、7日月曜日に報じたものです。
反対側の岐阜県からも現地に向かったのですが、今のようにアスファルト舗装の林道ではなかったでしょう。岐阜県側から消防車で駆け上ったのでしょうか。
こちらは翌日。11月8日火の岐阜タイムスです。岐阜タイムスも今の岐阜新聞です。天候の急変に寄り、積雪となった事が書かれています。例年より、2週間も早くと有ります。今日のように気象観測が充分になされていない時代であります。
3人の女性たちと談笑。
地元、福井側からだと話していました。
この女性たちは私たちが山頂でランチをしていた時に上がってきたグループです。
初めて顔を合わせても旧知のように話ができる。
これも山の面白さの1つです。
アップダウンの繰り返し。
登山道の両側にブナの大きな木が散見できます。
登って下っての繰り返し。
登山口が近くなってきましたが、遠方に金草山が確認できます。
ゆっくりした速度で登ってきました。
登山口に到着します。
下山後、冠山と向き合うDolphyさん。
何台も駐車できるスペースが有ります。
駐車場で見かけたのは富山石川福井のナンバーでした。
反対に名古屋ナンバーも見かけました。冠山が日本海側と太平洋側の間にあり、両側から登る人が訪れる山となっています。
Dolphyさんたちは少しだけ、金草山への道に踏み込んでみました。
私は、この峠で彼らの帰りを待っていました。
この峠の上を自衛隊機が通過したのです。
C130と言う大型輸送機でした。操縦席が見えるくらいの低空飛行で、あわや激突かと思うような状態でした。現実に突っ込んだら、大事故となっていました。この時は、カメラが手元に有りませんでしたが、上手く撮影していたらと思います。
秋の花々が終期を迎えていました。
リンドウは汚くなっていましたし、ツルリンドウも最後のもので、他の物は実を結んでいました。
久し振りに上った冠山。
楽しむ事が出来ました。
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