名古屋からバスで出かけ、10回のコースに分けて木曽路を南から北へウオーキングしています。今回は第7回で、参加者は35名でした。男性が14名、女性が21名でした。
回を重ねて7回目となりました。第1回と2回は中津川宿から妻籠宿までで、峠を越えましたが、第3回からは国道19号線とJR中央線、そして木曽川が平行していて、3点セットでした。鉄道と道路は姿を変えないのですが、木曽川はすっかり細くなりました。
それに、北へ北へと向かいますが、名古屋を出てスタート地点に着くまでに3時間を要するような距離になりました。
今回は木曽福島の興禅寺から福島関所跡を通過し、旧日義村の義仲館まで歩きました。
福島関は四大関所に挙げられる関所で、西に木曽川、東側には山が聳える地形を利用した場所に設けられています。
木曽福島から宮ノ越宿にかけての道は木曽義仲の生い立ちの里で数々の名所がありました。
興禅寺駐車場(11:00) ― 福島関所跡(11:43) ― 手習天神社(12:27) ―
中原兼遠屋敷跡(12:40) ― 道の駅 日義木曽駒高原(13:13~13:50) ― 石仏群(14:05)
― JR原野駅(14:09) ― 一里塚跡(14:34) ― 明治天皇・御膳水碑(14:45) ―
特音寺(14:59) ― 義仲館(15:05)
今回、歩いたコース地図です。
バスが興禅寺の駐車場に着きました。
トイレを済ませてウオーキングに備えます。
バスのフロントガラスに貼られていた表示。
今回が第7回です。
ウオーキングリーダーがこれから歩くコースを説明します。
興禅寺の境内に進みます。
興禅寺の境内と義仲の墓所に山頭火の歌碑が設置されていました。
ハッキリした筆跡で誰でもが読めます。
旭将軍とは義仲のことで、源義仲です。
木曽に住んでいたことから木曽義仲と呼ばれるようになりました。
蛻(ゼイ)庵稲荷について説明するリーダー。
この略伝の中に秀綱と言う名が有ります。
この夏に登った焼岳で中尾峠に至る道に秀綱神社が有りました。秀綱が飛騨から信州へ逃げていくときに村人に討たれ、その後に祟りが有り、秀綱の霊を弔うため祀られたものでした。
その秀綱の名をここで目にしたのは意外でした。
ストレッチ体操をする適当な場所が無く、遅れての体操となりましたが、ウオーキングに備えてストレッチ体操をします。
高瀬家は藤村の姉が嫁いだところです。
高瀬家に向かう場所に石柱があり、高瀬奇応丸と刻まれていました。
この丸薬は家康に献上されたようです。
福島関所跡の西門と東の入口です。
垣根越しに関所の中を伺いました。
旅人がこの場所を通りぬけたわけですが、一人ひとりお調べを受けたことでしょう。
片隅に新井町友好親善記念と有り、樹が隠れているのでしょうか。
静岡県の新井町と木曽福島が関所跡を持つことから友好の盟約を締結したのでしょう。
この松の木が記念樹なのか、締結してから相当、歳月が経過している感じがします。
木曽川沿いを歩いていて町民運動会でしょう。
中学校のグランドで開かれていました。
通過して行く時、丁度、ここから「木曽節」聞こえてきたのです。
お囃子は太鼓だけでしたが、本物の「木曽節」でした。
道の脇には木に巻き付いたアケビを目にしました。
実が割れて、中が見えます。
栗の木の元にイガが転がり、栗が残っていました。
上田小学校です。
今では珍しくなった木造平屋建ての校舎です。
学校田でしょうか。稲が実り黄色くなっています。
もうすぐ子供たちが刈り取りをする姿が想像できます。
中原兼遠屋敷の説明盤。
義仲は幼い時期にこの地で成長しました。
正沢川に掛かる鉄の橋を渡ります。
橋は鉄の網状になっていて、下が透けて見え怖がる女性が居ました。
川で釣りをする男性が居て、何が連れますかと声を掛けたら山女が連れると応えてくれました。
帽子には鑑札が付けて有ります。
左のマンホール蓋は木曽福島町。右は旧日義村です。
マンホール蓋はタイヤで踏まれたりしますが、街の顔でも有ります。
木曽福島は関所がシンボルであり、関所を取り入れていました。
日義村の蓋は気づかなかったのですが、笹りんどうで、義仲の紋章だと後から気が着きました。
道の駅 日義木曽駒高原が見えて着ました。
ここでお昼となります。
少し遅い時間のお昼となりました。
今回もレストハウス木曽のお弁当です。
酢飯に鮭のフレークが乗り、チラシ寿司になっていました。
卵焼きが美味しかったです。
道の駅に中山道東西中間地の石柱が立てられていました。
この場所は江戸と京との中間点となります。
笹りんどうの幟旗が風に流れています。
ここからは木曽駒ケ岳が望めました。
道の駅には木曽駒味わい横丁と言うスタンドが有り、五平餅やそばを打っていました。
ブルーべリーとバニラのミックスを食べてみましたが、ブルーベーリーの味がしておいしかったです。
石像群がありました。
この辺りでは見かけないような顔の表情です。
刈取りが済み、稲架から稲束を取り脱穀の農作業をしていました。
秋が深まっていく。季節の移ろいを感じるシーンです。
花も秋の顔です。
道路脇にオミナエシが咲き、草むらにはゲンノショウコが見えました。
水準点です。
山に登って三角点を目にする事が有りました。これまで街道をに歩いてきて、水準点は気に留めていませんでした。
リーダーから水準点は距離を表すポイントであり、明治の時期に陸軍が設置したのだと聞きました。
根元の金属部分ははっきり読めませんが、国土地理院とあるようです。
宮ノ越宿に入って来ました。
宿場町らしい雰囲気がします。
この宿場でも屋号を目にしました。
若狭屋などと言うと若狭地方から来た人なのかと思ってしまいます。
いよいよ、ゴールが近くなってきました。
前方に特音寺が見えます。
特音寺の鐘楼山門です。
文化財に指定されていました。
すぐ近くに義仲館が有りました。
武家屋敷風な構えになっていました。
お疲れ様でした。
ゴールしてストレッチ体操をします。
11時にスタートしましたが、撮影するのを忘れていて、少し遅れての撮影となりました。
最後に
第5回に須原宿から寝覚の床まで歩きました。
その日の正午に「木曽節」のチャイムがスピーカー流れました。全国瞬時警報システムでジェイアラートと言うものです。
そして、今回は「椰子(やし)の実」で島崎藤村が作詞した曲が流れてきました。木曽に縁のある藤村の曲です。よくぞ、この曲を選曲したなと思いました。
第6回に寝覚の床から山村代官屋敷までを歩きましたが、その時マンホール蓋の図柄は檜林をバックにした「森林鉄道」の図柄でした。今回は「福島関所」と「笹竜胆」です。マンホール蓋は足で踏まれたりタイヤが通過したりします。でも、その街を代表するシンボル的な題材が表現されます。マンホール蓋に関心を持つようになりましたが、ウオーキングだからこその発見です。
新しく発見したり、知らないことを知る。それが面白いです。
第1回は3月31日で雨の中を歩きました。柳が芽吹き、さんしゅゆが咲き始めて春の訪れを感じさせました。
今回は実って垂れ下がったアケビやイガから落ちた栗を見つけ秋の深まりを感じました。
今回のコースでは、時間が無くて福島関所跡や義仲館を見学できませんでしたので、何時か再度訪れたいと思いました。。
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