諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

チョットだけ白山信仰と白の意味について考えてみた。〔白(シロ、シラ)編〕 その6

2012年12月28日 08時19分13秒 | 神道

これまで、「シララカムイ 岩の神」、「シラッキカムイ 家の中の神、守り神」、「シランパカムイ 地上の木、加工した木の神」に付いて書いてきましたが、申し訳ない、東北・北海道には、まだ白い神がいます。

 

江戸時代の国学者・菅江真澄が表した書・「月の出羽路」によると、「松前に白神の浦あり。磯山をしら神山といふ。いにしへのこの山の石室の内に斎グ御神也。今はその石室なし。あるとき漁人此の山に入りしかば、かの石の神殿の顕れたり。急ぎ麓に下りて、浦人をあまたいざなひ、ふたたび山にはいりしかど、さらに其神の石室なかりし也。をりとしてかの神殿を見る人あり。奇異こと也。」とあります。

 

うーん、昔の言葉の言い回しは難しいですが、「是れ世にいふ白神、おしら神也といへり」の文章から判断して、白神は福島県と岩手県の民話に残され、宮城県にもその風習が残されている「オシラサマ」のことでしょう。

 

カムイで考えると、上記の文章に「石室」が頻繁に出て来ますので、岩の神・「シララカムイ」がまず考えられます。

そして「石室」は「石による空間」、つまり住まいであり、家なので、家の神であり、守り神である「シラッキカムイ」にも繋がりますね。

更に歴史が降れば、人の家は石室から木造の家となりますので、地上の木、加工した木の神・「シランパカムイ」もそれに加わると思います。

 

この「オシラサマ」に付いて書くと本が一冊出来そうなくらい伝承がありますが、簡単に言うと「お雛様」のルーツのように思えます。

オシラサマとして男女二体の人形を飾るのですが、その中には人の男女の他に、鶏と馬の顔のオシラサマもあります。

これは何も意味しているのか考え中ですが、鶏と馬に関係している神様であることは間違いないでしょうね。

そう考えると、それに該当する神様の名前が浮ば無いこともないです。

 

また、オシラサマと言うと蚕を思い出しますが、蚕の色も白です。蚕で得られる絹もまた白色です。

 

オシラサマの人形の骨組みは桑の木ですので、木の信仰は当然考えられます。桑の木と蚕により絹を得られるということは、絹もまた木の神の恵であり、木の神への信仰に繋がることなります。

つまり白神であり、木の神であるオシラサマは、或る意味、地上に存在する全てのものに関わる神であると思います。

 

更に青森県・恐山の「イタコ」もオシラサマ信仰です。

神功皇后や多分、卑弥呼もそうだと思うのですが、神が巫女に憑依してご神託を申す訳でありすが、「イタコ」もまた神が憑依し、神の言葉を話します。その神はオシラサマだとされています。

こうい言った神道のご神託の習わしは、オシラサマにその源流があるように思えます。

 

では、このオシラサマはどのような神様なのか。カムイで考えると木の神「シランパカムイ」が一番近いと言えますが、、「シララカムイ」、「シラッキカムイ」と三神一体の神のであると私は考えます。。

 

では日本神話に登場する神としたら誰なのか。

これは多少、眉唾な話と感じる人もお出ででしょうが、青森県在住の霊能力者である木村藤子氏に語りかける神は「天照大神」だそうです。

「天照大神」を祀る神社では「神宮大麻」を施しますが、大麻もまた植物であり木の神への信仰が伺われます。

そのことから考えて、本来の「天照大神」と「豊受大神」にその幻影が見られるのではないでしょうか。

「天照大神」、「豊受大神」からも遡れると思いますが、流石に長くなりますので、今回はこの辺で筆を置きたいと思います。

 

ではでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チョットだけ白山信仰と白の意味について考えてみた。〔白(シロ、シラ)編〕 その5

2012年12月28日 01時30分55秒 | 神道

チョットと言いながら、えらい長文になってしまいました。恐縮です。

 

結果だけ言えば一行で終わるのですが、下手したら数千年も前のことを妄想している訳ですので、いろんな考えが泉の如く湧き出てしまいます。

 

まあ、何を言っても誰も断言する事は出来ないのですがね。

 

さて、最後の白いカムイは「シランパカムイ」です。

「シランパ」意味は「地上の木、木々」で、「家とかに加工した木」も「シランパ」に含まれるようです。

つまり「シランパカムイ」は「木の神」となります。

 

そこで思い出されるメロディーが、「♪ しらかばぁ~、あおぞ~ら、みぃな~みぃ~か~ぜ~、コブシ咲く、あの岡、北国の~、ああ、きたぐにぃ~の春ぅ~」。

ご存知の通り、千昌夫の「北国の春」です。

 

出だしの「しらかばぁー」ですが、「白樺」の事です。。多分、白い樺の木です。樺色と言うと黄色らしいので、当然そうなると思います。

 

何が言いたいかもうお分かりだと思いますが、「シランパ」=「白樺」なのではないでしょうか。。

 

「北国の春」の歌詞に出てくる訳ですから、「白樺」は北国の代表的な樹木です。

木々には当然多くの種類がありますが、「木」=「シランパカムイ」で、樹木の白樺に神の名である「シランパ」の発音が残り、シランパ→白樺になったのではないかと思うんです。

 

つまり「シランパ」の「シラ」、つまり「白」は、「木の色」、「白樺の色」から連想されたと言う事です。

 

考えてみれば、自然界の動物は木々(植物)によって生かされています。虫も動物も、植物もまたそうですし、海の生き物やワカメ・コンブだって、落ち葉の養分で生かされています。

 

それらの動植物は木々との共存が成立しています。

 

しかし、人間は例外ですね(白蟻も入るかも)。木を燃やして暖をとったり、木を切り、加工して家や家具を造ったり、木の繊維で衣類を作ったりしているので。

 

つまり、木を殺して生きている訳です。これをアイヌ人は「申し訳ない」と考え、木の神に感謝し、信仰の対象になったと思うんです。

 

そう考えると、前出の「シラッキカムイ」も「家の中にある神」ですから、木への信仰に通じていると思います。

 

そして「水」と並び、朝鮮・中国からの人口や宗教観の流入前の日本の神道、そして日本流仏教の源流に、植物を含めた「木」への信仰があるんじゃないかと考えます。

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする