諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

永井平九郎と鬼渡神社 その1

2012年12月30日 12時21分25秒 | 永井平九郎

上記のタイトルですが、「永井平九郎」なる人物と「鬼渡神社」が関係しているかと言うと、今のところ分かりません。

 これから書く事は私が永井平九郎を調べ、鬼渡神社を知ったプロセスです。大して興味を持たれないでしょうが、私にとっては重要なんで書いときます。

 さて、永井平九郎なる人物を知っている人は多分、この世に先ず100人も居ないのではないでしょうか。神社に祀られていますから神様なんでしょうけど、研究してるのは私ぐらいなもんです、多分。データーが余りにも少ないので全然調べは進んでいませんけど。

 其れは兎も角、この永井平九郎なる人物、若しくは神様との出会いは今から40年近く前まで遡ります。当時、小学校3~4年生の頃、授業が自習になり図書室で福島県の民話の本を読んでいて発見したのです。

 私は幼稚園の6歳の頃に福島県いわき市から宮城県仙台市に引っ越してきたんですが、当時から郷土愛というか、宮城県より産まれ故郷の福島県が日本で一番好きなんです。今だって仙台には馴染んでいません。福島のいわき市、もしくは会津に住みたいと思ってます。

 何と言うか仙台の人の悪さ?、えげつなさ?、いやいや他人の気持ちを考えない仙台人特有の自分中心の考え方がどうしても馴染めないんですね。

これは何と言うか東北でも宮城県の県民性といったら語弊がありますが、福島県、特に余りにも純粋で、「人のために何とかしてやりたい」と言う会津人の感覚と正反対のように感じます。

現に私の6歳年下の弟は仙台で生まれましたが、私とは全くもって性格が違います。弟は営業職に付いていますが、営業成績は抜群です。しかし私は全然ダメでしたね。

私には他人を押しのけてもと言う押しの強さがありません。生きて行く力がないと言うか、世間に適応出来ないと言う弱点があります。そして多少なりとも人間嫌いであります。困ったもんです。

あっ、会津の人がそうだと言いません。私がグウタラなのです。私は会津の人の様に成りたい。会津人が人としての理想なのです。

 何時もながら脱線しちゃいました。話を小学校の図書室に戻します。

 福島県の民話の本を読んでいて、小さな囲み記事に「永井平九郎」なる人物の話が載っていました。

まあ私、本当はバラしたくなかったのですが苗字が同じなもんで、幼いながらにも「永井平九郎」に興味を持った次第です。

 話の内容はと言うと、「永井平九郎なる人物が、どこからともなく福島県のとある山の中まで逃げて来た」、「永井平九郎は何時も背中に鉄の大鍋を背負っている」、「敵が来ると背負っている大鍋の中に隠れる」、「永井平九郎は姫を守っている」、「永井平九郎は現在、永井神社に祀られている」、「永井神社の御神体は、永井平九郎が何時も背負っていた鉄の大鍋である」っと言う内容でした。

 福島県出身で同じ永井姓なもんだから幼いながらも俄然興味を持ちました。もしかしたら私のご先祖様じゃないかと思って。

まあ何か逃げ回っていた点が引っかかり「余りカッコ良い人ではないな」とは子供心にも思いましたけどね。でも神社に祀られていると言う事は神様になったということで、「チョットは偉かったんだろう」とは身贔屓ではありますが考えていました。

 そして月日は流れネット時代が到来。

永井平九郎なんて忘れておりました。覚えていたとしても調べる術はなかったのでどうしようもなかったのですが、何故か急遽「あの時の永井平九郎とはとんな人だったのだろうか」、「永井平九郎が祀られている永井神社ってどこにあるのか」等々、気になってしょうがなくなりネットで調べ始めた訳です。

 

つづく。

 

 

 

 

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